「普通」にはなれない発達障害の私の生き方

とってもお久しぶりです。ほりこです。

簡単に近況報告をしますと、発達障害に偏見をゴリゴリに持ってる「自称・私、障害者に理解あるから」という先輩とがっつり一緒に仕事をした結果、精神を病み、休職。

そしてつい先週、退職しました!いえぇえい!イベントの仕事は大好きだったので残念でしたが、何事も精神病んでまで働く必要はないと思ってるので、万事OKです!

さて、久しぶりに書くトピックは、私なりの生き方の話。

私には超ネガティブ思考な彼氏がいまして、彼が落ち込むたびに「生きてりゃ人生なんとでもなるから大丈夫!」と励ましているのですが、この「生きてりゃ人生なんとでもなるから大丈夫!」の考えに至るまでに、私の中でもいろいろな葛藤があったのです。

前の記事でも書きましたが、発達障害を抱えながら生活していると、自尊心はどんどん削られていき「病む→悟りを開く→復活→病む→悟る→復活」のループを繰り返すことになります。

私はメンタルは強くないので、病むときは自殺を本気で考えるくらい病むタイプです。ただ、発達障害ゆえに人から嫌なことを言われて傷付くことには慣れていますし、その分、立ち直るための考え方も知っています。

それが「生きてりゃ人生なんとでもなるから大丈夫!」というものです。

 

私は、物心ついた頃から、親や周りにいる友達とはまったく違った価値観を持っていました。周りからは「変わった子だね」「個性的だね」と言われ続けてきたし、未だに「ほりこは個性的」「ほりこは普通じゃない」と言われます。

前回の記事にも書きましたが、「普通じゃない」ということは別に悪いことではないし、個性として素敵なことだと思います。ただ、いろんな人に「普通じゃない」と言われ続けた私は、いつからか「普通じゃない自分」をコンプレックスに思うようになりました。だから「普通になること」を目指して、高校も普通科の学校に進みましたし、大学も法学部に進み、そして卒業後は証券会社に就職しました。

でも、いつも心の中に違和感がありました。「私が本当にやりたいことはこれじゃない」「空気を読むんじゃなくて、もっと何も考えずに人としゃべりたい」「周りの目を気にせず、自分が本当にやりたいことのために一生懸命になりたい」ずっとそんな想いをくすぶらせていたのです。

ただ、私の両親は「普通であること」を望む人でした。私がADHDであると診断が下りた後も、私が「普通」の社会で適応できるようになってほしいと望んでいました。

証券会社に就職し、堅苦しい決まりごとを遵守しながら働くうちに「私は『普通』にはなれない」ということにようやく気付きました。

今まで一生懸命、なんとか「普通」になろうとして、進路だけでも「普通」であろうとしていたこともあり、それに気付いた時はとてもショックで「自分は社会に受け入れてもらえない存在なんじゃないか」と思い詰め、絶望しそうになっていました。

そんな時、新規開拓先のとあるおじさんのところに、久々に顔を出してみたんです。私が精神的に病んでいることを表情から読み取ったおじさんは、私にとある言葉をかけてくれました。

「会社員っていうのは、基本的に権利なんてない。会社のコマとして働かなきゃいけない。でも、そんな会社員に唯一与えられた権利がある。それが辞めることだよ」と。そして私に「死んだらあかんで。死なんかったら人間どうにかなるんやから」と教えてくれました。

その後、私は証券会社を退職し、イベント制作会社に転職。ようやく本当にやりたいことを仕事にすることができました。(まぁ、それも先日辞めたんですが…笑)

イベント会社に就職してからは、個性的な人に囲まれて仕事をしていたこともあり、楽しい日々を過ごしていました。ADHDが仕事の邪魔をして落ち込むことはあっても、不思議と辞めたいとは思いませんでした。(それなのに辞めた理由は先輩のパワハラと結婚が理由です。先輩のパワハラと結婚がなければ今でも続けていたと思います。)

私は、そのおじさんの言葉で「人間死ななきゃどうにでもなる」と考えることができました。

「生きてりゃ人生どうにでもなる。たとえ今精神を病んでいても、周りと同じようにできなくても、未来が不安でも、生きてさえいれば大丈夫なんだ」と考えられるようになってからは、心を病むことはあっても、絶望することはなくなりました。

 

実は、私はもうすぐ結婚します。結婚生活のことも考えて転職活動も進めています。

ADHDの特性や自分の性格を考えると、本当にこの先やっていけるのか、この先、私が私らしく生きていける日は来るのか?などいろいろと不安に思うこともありますが、「死なんかったら人間どうにかなる」というおじさんからもらった言葉を胸に、なんとかやっていきたいと思います。

ほんとに、人間生きてさえいれば大丈夫なんです。たとえ今がつらくても、苦しくても、生きてさえいれば、孤独でも、絶望しそうでもいいんです。死なずに足掻いていれば報われる可能性があります。でも死んでしまったら報われる可能性は0%です。だったら、生きている方がトクだと思いませんか?

 

私はこれからも「普通」になれないままだと思います。だから「普通じゃない人」になっていこうと思います。私と同じように「普通じゃない人」が「普通じゃなくていいんだ」と思える社会をつくる、その手助けをすることが今の私の夢です。

 

この記事が誰かの役に立てば幸いです。