【答えはない】障害者の正義VS健常者のルール

気付いたら年度が変わる季節になってました。あけましてだいぶ経ちましたね、今年もよろしくお願いします。(前回の更新日はなんと2018年10月30日!時の流れが早すぎてついていけん!)

さーて、なんと4ヶ月ぶりのブログとなるわけですけれども、今回はTwitterをきっかけに、個人的に深く考察したいことがあってはてなブログを開きました。いつも言葉強めで発達さんにキツめな私ですが、今回はわりと発達さんに寄り添った目線になるかも?

まず、Twitterでこんな投稿を見たことが今回の考察のきっかけです。

「あ、これ私のことだ!」と思うほど共感しましたし「やっぱこれ私だけじゃないよね?!」と思って、いろいろ考えてみたんです。

そう、私を含めて全ての発達障害の人で「今まで発達特性で苦労したことは一度もない」なんて人、ほとんどいないと思うんですよね。比較的問題なく、周囲にも恵まれ順調そうに過ごしているように見える人でも「そういう風に見えてるだけ」で、見えないところでは絶対障害に苦しんでると思うんですよ。

このツイートには続きがあって、その内容を簡潔にまとめますと、「発達が自分の正義のために攻撃的になるのは『自分はダメな人間なんかじゃない』と必死に努力しているから」だと思っています。(細かい考察はリンクのTwitterを見てみてくださいね)

では「発達が努力する過程で周りの人を攻撃してもいいのか?」というとそれはNO!だと思うんです。ですが、発達が「自分の正義=自分はダメな人間なんかじゃない」という想いを守るために周囲を攻撃してしまうようになるまでのバックグラウンドには、本来ならば尊重されるはずの「個性になるはずだった部分=障害による特性」を健常者に否定され続けてきた過去があります。

健常者のルールから外れた行動を取った時、発達のほとんどの人は「あなたは間違っている」と何度も言われ続けてきています。本当にことあるごとに。たとえ自分の発達特性を理解していても、健常者のルールに沿った行動ができない、言い換えれば「周囲の期待に応えられない自分」を好きになるなんて無理です。

私の場合はADHDですから、時間を守ったり計画を立てたりすることが極端に苦手です。でも生活する上では必須スキルだし、健常者にとっては何の苦もなくできること。だから健常者の人は「大半の人はできるし、この子も私と同じようにきっとできるはずだ」と期待して私に仕事を振ってきます。でもそれができない。しかも何度注意されてもなかなか治りません。その度に、周りから失望した態度を取られてきたし、自己肯定感も削られていきました。

こういうことが日常茶飯事なのが発達障害者だと思います。もちろん上手くいく日もあるけど、上手くいかない日の方が圧倒的に多いです。生きることに絶望したっておかしくないくらいの苦しみを抱えながら頑張る発達障害者にとって「私はダメな人間なんかじゃない、価値ある人間なんだ」という想いは、言葉通り「命綱」だと思います。その命綱が何者かの手によって傷付けられようものなら全力で抵抗し、時には武力行使も厭わない。なぜならそれは発達障害者にとっては命を脅かす存在から身を守る「正当防衛」だからです。それくらい重たく、深いものだと思います。発達障害者が抱えるものって。だから私は、自分の正義を守るために攻撃的な態度を取る発達障害者を批判することはしないし、できないです。

一方で、ルールというのは個人を尊重するためにあります。偉大な詩人・金子みすゞさんは「みんなちがって、みんないい」と表現しておられますが、たとえ家族であったとしても、両親や兄弟は私とは別の人間ですし、姿形も価値観も異なる別世界を持つ人です。家族でさえそうなんですから、友人や恋人、職場の同僚、はたまた海外に住む外国人なんかと考え方が違うのは当たり前です。

でも今のところ、銀河系で人間が生存できる惑星は地球しかないし、たった一つの惑星に70億人も住んでいますし、大陸も6つしかない。そんな中で70億人が70億通りの自由を主張してしまったら、地球なんてあっと言う間に滅亡してると思います。だから一つの惑星に70億人全員ができるだけ不便少なく暮らしていけるようにルールがあるんだと思いますし、そのルールを守らなきゃいけないんだと思います。

でも、その「みんなが快適に過ごしていくためのルール」を守るのが難しいのが発達障害者です。さっきも書いた通り、ルールは70億人全員のためにあります。でも70億人のうちの10%が「ルールを守ることができない人たち」だなんて誰も想定していなかったんでしょう。例えば「約束は守らなければいけない」というような、遥か昔から存在し、今や当たり前になっているルールでさえも「約束を守れない人がいるかもしれない」ということは想定されていません。でも、実際には「約束を守れない人」が存在します。いつの時代もそうですが、ルールを守れない、あるいは集団に馴染めないイレギュラーな存在は排除されるか無理やり型にハメられるか、孤立します。いじめなんかがその最たる例じゃないでしょうか。

ここでもう一度、Twitterの内容に戻ります。

発達障害者はこれまでに何度も「あなたの行動は間違っている」と言われ続けてきました。その度に傷付き、自信を失い、自分を嫌いになっています。でも「自分はダメな人間なんかじゃない。価値ある人間なんだ」と腐らずに、自分を信じて毎日努力します。そんな人が自分の命綱ともなる自分の「正義」を受け入れてもらえなかったらどうでしょうか?絶望して自ら命を絶つ人もいるかもしれないし、人間らしく健やかに生きていくことを放棄するかもしれません。だから必死に自分の「正義」を守るんです。私は、それは「正当防衛」だと思います。

決して「正当防衛であれば周りを攻撃してもいい」と言いたいわけではないですし、みんなが快適に過ごすためのルールを蔑ろにしていいとも思ってません。ただ、みんなを守るということは「みんな」になれなかった誰かを排除し、苦しめることと同義だと思います。じゃあ「みんな」が少数派の人たちを排除して苦しめてきた罪は、果たして誰が償えばいいんでしょうね?

なんだか壮大な話になってしまいましたが、きっとこの話に答えなどありません。こんな長文を記事にしておきながら、私自身もまだまだひとつの結論を導き出せずにいます。これを読んだ皆さんがどう感じられるか、ぜひコメントいただければ幸いです。

では、また。