ADHDが子どもを産んだらどうなるんだろう?

1ヶ月ぶりの更新です。ほりこです。この仕事をしていると1ヶ月が気付いたら過ぎてたなんてことは当たり前なんですけど、「最近ブログ書いてないなぁ」と思ったら1ヶ月経ってて本当びっくりしました…。気付けばもう10月終わるし…時間が過ぎるのが早すぎます...。

さて、今日は趣味垢の方でたまたま発見した連載コラムを読んで、そこから感じたことを書いていきたいと思います。女性の方は必見ですよ。

今回、ご紹介するのはこちらのコラムです。Wotopi「産むことにメリットって、本当にあるんですか?」https://wotopi.jp/archives/cat_summary/umidoki

非常にセンシティブな話題について、愚直に突っ込んで書かれている連載でした。筆者の文章が非常に生々しくて鋭く、とても興味深い内容でした。うっかり2駅乗り過ごして遅刻してしまうくらいには過集中を発揮し、夢中になって読んでいました。

連載の具体的な内容や趣旨は、こちらのURLからご自身でご確認いただくとして、ADHDの私がとても引っかかった内容が、連載 第12回の「空気に流されて、うっかり産むな。トコトン戦略的に産んだ方がいい理由」https://wotopi.jp/archives/53647 でした。

どうやら女性の身体というのは、妊娠期間〜産後しばらくの間、ストラテラコンサータを飲んでいない時のADHDのような状態に陥るようなのです。

筆者である鈴木氏は、このコラムを拝見している限り、おそらく発達障害ではないことが窺えます。とてもわかりやすく知的な文章を書かれる方ですから、おそらくワーキングママとしても非常に優れた方なんだと思います。そんな彼女は、妊娠期間〜産後半年の間の異変について、こう仰っているのです。

 

・酒が飲めない。
(ま、これが最大の不自由でしょう)
レッドブルが飲めない。
(あれ、カフェイン入ってます)
・頭の回転が鈍くなりすぎて、麻雀ができない。
(できなくはないと思うけど、今よりさらに負ける回数は増えます)
・集中力がなさすぎて契約書が読めない。
・論理的構成力が低下してプレゼン用のパワポが作れない。
・抽象的思考力も低下してスプレッドシートでミスりまくる。
・眠すぎて企画会議に集中できない。
・誰と誰が仲悪くて……みたいな複雑な人間関係図を管理できなくなる。

と、なります。

要は、知的活動が著しく制限されるんです。仕事にならないんです。個人差はあると思いますが、少なくとも私のまわりのワーママ編集者のあいだでは、次に書くことは、妊娠中のあるあるです。(Wotopi「空気に流されて、うっかり産むな。トコトン戦略的に産んだ方がいい理由」より引用)

 

お酒やレッドブルや麻雀のくだりはさておき、それ以降の記述はADHDの私からすれば「その状態、コンサータ飲んでない時の私やん!」となるわけです。同じADHDの方であれば「それな」となっていらっしゃるのではないでしょうか。その直後、私は気付いたのです。妊娠期間中、なんなら妊娠準備期間からコンサータが飲めなくなるということに。

お恥ずかしながら、私はこのコラムを読んで初めて「妊娠期間中〜産後しばらくの間、女性の身体はADHDのような状態に陥る」ということを知りました。妊娠期間中や産後しばらくは服薬してはいけないということは知っていたけれど、妊娠中は健常者でもADHDのようになるということは考えたこともなかったのです。「コンサータ飲めなくなるのは不安だなぁ」とか「つわりに耐えながら仕事なんてできるのかな?」とかならぼんやり考えたことはありますが、妊娠中の身体の変化に関しては疎く、このコラムを読んだ時「コンサータも飲めないし、つわりにも耐えなきゃいけないのに、妊娠したらさらにADHDみたいな症状出てくるの?!そんなの絶対仕事出来なくない?!」という激しい不安に襲われました。

私のブログを読んでくださっている方はご存知かと思いますが、私はADHDだからといってキャリアを積むことや結婚や出産、育児を諦めるつもりはありません。どんなに叩きのめされても、ひと通り落ち込んだらまた立ち上がって1ミリでも這い進みたい諦めが悪いタイプです。仕事も結婚も妊娠も出産も育児も、全部諦めなくていいように、自分らしく何にも諦めない人生を送れるように頑張ろうと日々マイペースにやっております。

そもそも、仕事柄、妊娠初期の不安定な時期に夜遅くまで働いたり、力仕事をやったりはできないとも思ってはいるんですが、それ以前の問題として、妊娠すると服薬ができなくなる上に、ホルモンバランスの都合上、さらに判断能力が低下するとなると何もできなくなるんじゃないか?と不安になります。

もちろん妊娠中のことだけではなく、出産後も。自分の管理すら苦手であるADHDの私が会話もままならない新生児を育てることができるんでしょうか?世のパートで働くお母さんやワーキングママは子育てをしながら仕事も頑張っているけれど、私には到底そんなハードなマルチタスクできないと思ってしまうんですよね。

そういう事実がわかりきっているからか「発達障害者は結婚して子どもを持つべきではない」とも言われますが、それは障害者に対する人権侵害でしかないと思うし、もっと言えば「障害がある人を排除しなきゃ子育てできない社会ってどうなのよ?」という話だと思います。それくらい健常者の人にとっても子育てが難しい社会だと思うし、健常者に難しいなら障害者にはもっと難しい社会だと思うのです。

ここからは私事ばかりになりますが、私は来年の秋くらいに現在お付き合いしている彼と結婚しようと考えています。結婚式などはもっと先になりそうですが、同棲し婚姻届を出すのは来年の予定です。自分自身の結婚を目前にして、結婚後は仕事をどうしようか、将来子どもを授かったらどうしようか、など将来についてより現実的に考える時間が増えました。その中で、やはり、毎度毎度ADHDであることが私にとって一つの負荷であることは間違いありません。みんなそうでしょうけど、「どうすればもっと上手くやれるだろう?」「ADHDだからといって今のままではダメだ、もっとやり方があるはずだ」と毎日そんなことを考えています。

「自立はしたいけど、何事も自分の力だけでやっていけるほどのキャパシティはない」「他人様の優しさに甘えて、世間様の白い目に耐えながら生きていくしかない」「障害者にとって生きづらい世の中だからこそ無理は禁物」頭の中でずっとこんなことが渦巻いていて、前に進めなくなってきている自分がいます。この歳になって初めて、発達障害を抱え、女性としてキャリアを積み、プライベートを充実させることが如何に難しい社会なのかということ、そしてこんなに生きづらい環境にあっても自分の人生には言い訳ができないのだということを目の当たりにして、最近は少し前に進みづらくなりました。

今後、もっと障害者にとって優しい社会になりますように。女性がもっと我慢しなくていい社会になりますように。人と違うってだけで生きづらくて、女性というだけでキャリアを断念しなくてもよくて、頑張りすぎなくてもやっていける社会になりますように。そう願うばかりです。

長くなりましたが、今日はこれにて失礼致します。

すべてにおいて、歩み寄りが大事

こんにちは、ほりこです!お久しぶりです!更新が約20日ほど空いてしまいました…Twitterにはいたんですけどね...

さて、今回は、誰かのTwitterを見て考えたことではなく、最近私が悩み、感じていること、きっと全人類レベルでみんなが思っているであろうことを書いていきたいと思います。

タイトルにもある「歩み寄り」は、きっと地球規模で永遠の課題なんじゃないかと思います。

今回なんでこんな話するかというと、最近私は自分の障害について「人の理解や助けが必要になるのが障害なのに、障害者である当事者ばかりが努力している状況っておかしくない?」と冷静に思っているからです。そして、この状況を打破するには、「双方の歩み寄り」が必須となります。

きっと発達障害の当事者であれば、絶対に一度は同じ疑問を持ったことがあると思います。でも、そんな疑問を持ったところで、あるいは声高に疑問を呈したところで、社会が障害者にとってやさしく変わってくれるというわけではありませんから、「結局、いくら正論を言っても、現状は変わらないのだから自分をより良くする努力を続けるしかない」という結論に至り、今もなおしんどい思いと違和感を抱えながら努力を続ける…。きっとそういう人めちゃくちゃ多いと思います。

声を上げ、理解を求めるたびに「甘えだ」と言われたり、「いつでも頼ってね」と理解を示すフリをするくせに助けを求めると「それはあなたがもう少し努力して」と言われたり...

発達障害に限らず、目に見えない障害や病気をお持ちの方は、きっと何度もこういうことを言われてきただろうし、そのたびに悔しくて悲しい気持ちになってきたと思うんです。

私は今まで「いくら『本来こうあるべきなんだ!』と声をあげたところで現状はそう簡単には変わらないんだから、自分の甘えをできるだけ許さず実直に自分をレベルアップさせられれば、少しは当事者でない人も理解してくれるんじゃないか?」と思っていました。

ですが、それは自戒であるとともに諦めでもあり、自分たちをもっとも苦しめている「偏見」を打破するものではないんですよね。

「自分を変えるのは簡単だけど、他人様を変えるのなんて高慢だし、とても難しい。だから自分が変わろう。」というのが、大学生以来、私の軸となる考え方なのですが、この歳になってようやく「自分だけが頑張っても意味ないんだ。理解してほしい人にも一緒に頑張ってもらわなきゃいけないんだな」と気付くことができました。そしてそのためには強固な信頼関係が必要だということも。

この信頼関係は発達障害者にとってはやっかいなんですが、結局のところ「相手のことをよく知ろう」とする気持ちがあるかどうかだと思います。それは被害妄想のような主観的なものではなく、もっと冷静で客観的なものです。

相手のことを知ろうとせず自分の都合だけ考えていると、相手もこちらの都合は聞いてくれなくなりますが、相手のことをよく観察し、相手が今どういう状況にあるか、相手の状況を鑑みて自分はどう立ち回るべきかなど日々冷静に考えるようにしていれば、いずれ「こいつ使いやすいやつだな」と思われるようになります。そうすると頼られるようになるし、徐々に信頼関係が築かれていきます。

私は、こういう手間を面倒くさがらずにやった上でなお、苦労しているのであれば「私はこれだけ頑張っている。ただ、私ひとりで頑張っても補いきれないことも沢山ある。だからあなたにも歩み寄ってほしい」と協力を求めてもいいんじゃないかと思います。よく「他人様の言動や性質を変えようなんて高慢だ」と言いますが、自分自身が最大限努力した上で協力を求めるのであれば、それは決して高慢なことではないと思います。

まだ「こちらが自分をよりよくする努力をしていない以上は、相手に努力を強いたり、協力を求めたりすべきではない」という考えからは抜け切れませんが、自分にもう少し寛容になり、周囲に「もう少し歩み寄ってもらえませんか?」と言える勇気も持ちたいものですね。

謙虚に、そして毅然とした態度で、これからも頑張りたいと思います。

イベント屋が考える発達障害PRイベント②

みなさんこんにちは!ほりこです。

先日更新した「イベント屋が考える発達障害PRイベント」の第二弾、イベントの内容について考えていこうと思います!よろしければ最後までお付き合いください🙇🏻‍♀️

前回、コアターゲットが「発達障害に興味のない社会人」であったことから開催場所はオープンスペースが適していると言いました。そこからもう一歩踏み込むと「ビジネス街のある主要な駅周辺」が今回の会場に最適だと思います。

では、ビジネス街のある主要駅の様子を少し想像してみてください。通勤や退勤のことが頭にあるので、時間や気持ちに余裕がなさそうな人、多くないですか?私だったらそういう時、ステージイベントやブースでのPRイベントってスルーしちゃうんですよね...(笑)でもティッシュとか、今の季節だったらうちわとか、そういう物配ってたらもらっちゃいます!(笑)もらうだけで時間もそんなかからないし。

そう、ビジネスマンって忙しいんですよね。そういう意味でもサンプリングが一番いいんじゃないかと思います。

でも、いくらティッシュに広告を入れたって使い終わったら捨てられることがほとんど。一番見てほしい広告はあまり注目されません。ですから、捨てられにくいものを配るのがいいと思います。

たとえば、手書きのメッセージとイラスト。手書きってなんとなく捨てにくいのです。もちろんデザインデータを入稿して印刷する方がよりプロっぽいのですが、その分捨てられがちです。でも手書きでメッセージが書かれていたら(しかも直筆だったら)、ちょっと情が届きます。ただしめちゃくちゃ手間がかかるので、時    間の余裕と手間への覚悟が必要です。

デジタルの場合でも人の心を打つPRはできます。ここ最近、ダヴやskⅡなどドキュメンタリーCMが流行っています。誰もが一度は感じたことがある悩みと、その悩みを少し和らげるきっかけをCMが提供するというものです。シンプルだけど生々しいし、「自分ごと」として受け止めやすく、共感してくれる人も多いから拡散されやすい。もちろんすべての人が賛同してくれるわけではないですが、普通の広告よりも印象に残りやすいと思います。

これはあくまで一案ですが「100人の発達障害者、100人の定型発達者(仮題)」と銘打ってポケットティッシュ広告にそれぞれの声を載せる。互いに問いかけ合い、その問いかけに答え合うのもいいかもしれませんね。定型発達者100人、発達障害者100人の協力者が必要ですが、タグを上手く利用し拡散すれば集いやすい人数かと思います。

 

最後に。私が思うPRの大前提について。

私は「PRも会話のひとつ」だと思っています。PRしたい側が一方的に発信してるように見えるけど、必ず受手がいます。ターゲットを絞っているなら、そのターゲットが何を感じているのか、何を思っているのか、まずは知らなければ始まりません。Twitterでは何度も言っていることですが「主催者がやりたいことをやる会は、ただのオフ会」です。PRイベントではありません。

PRする先には必ず相手がいます。そして、その相手に何らかのリアクションをしてほしいからPRするんです。だからこそ、相手に自分の価値観を押し付けるようなやり方は絶対にしてはいけないし、したとしても効果が得にくいかと思います。

発達障害への誤解や偏見と向き合う活動や、発達障害者がよりすごしやすくなるための団体がどんどん活発になっているからこそ、「自分たちの活動の先には相手がいる」「相手を知って初めて本来の活動ができる」ということを再確認した方がいいのかもしれませんね。

 

更新遅くなりましたが、イベント屋が考える発達障害PRイベント、これにて完結でございます!今後、イベントをしたいと考えられている方の参考になれば幸いです。

それでは今日はこれにて!また更新します!

イベント屋が考える発達障害PRイベント①

みなさんこんばんは!先日「大学生の中間レポートやん」くらいの字数のブログを書いたほりこです。

さーて、をこさんという方が、とっても素敵なイベントを考えておられるので、今回はそれをご紹介しつつ、私も発達障害のPRイベントを企画立案してみようと思います!本業ですので頑張りたいと思います(笑)

まず、をこさんのイベントについてご紹介しようと思います。

ところで発達障害に関心がないひとに発達障害を発信するのってどうすればいいのかな?

やっぱ発達さんも健常さんも参加できるデザインワークショップ開くしかない?修行します👌😭👌😭https://twitter.com/sakashira9/status/1022479492751577088?s=21

ADHD×イベント屋な私、黙ってられませんでした(笑)こういう時、すぐ首突っ込んじゃう...

この後、私もリプでをこさんにお伝えしているのですが、いわゆる「コアターゲット」といわれる人をより明確にすることが最も重要なポイントだと思います。さらに踏み込んだ結果を求めるなら、最終目的を設定するのも重要となってきます。

今回は「発達障害に関心がない人に対して(=メインターゲット)もっと発達障害について知ってほしい」というのがミッションです。で、このミッションを振られた時、企画を考えるにあたって浮かぶ疑問が2つあります。

まずひとつが「発達障害について知ってもらいたいのはなぜ?知ってもらった後、どういう結果になってほしいの?」というものです。

私の場合は「何か困ったことがあったら助けてくれる存在がもっと増えてほしい(特に職場)。生きづらさをちょっとでも軽減したい。理解してもらえなくていいから知っててほしい」とか思うんですけどね(めんどくさい)。これが真の目的ですね。なので、ここから「メインターゲットは社会人」「発達障害に関心がない社会人(就労者)が発達障害について知り、発達障害を抱える人がどのようなことで困っているのかが伝わる内容」というのが定まってきます。

ふたつめの疑問は「社会人って言ったっていろいるけど、具体的にどういう人にアプローチしたいの?」というものです。

例えば、「仕事を時間内に終わらせるのが難しい」という悩みを抱えていた場合、担当する仕事量や進捗を管理する上司(中間管理職)に助けてほしいのか、上司よりも気兼ねなく頼りやすい同期や先輩後輩に助けてほしいのか、どちらでしょうか?もちろんどっちにも助けてほしいところですが、私は「まずは管理職に理解してほしい」と思っていますので、「中間管理職で発達障害に関心がない人」がコアターゲットとなります。

まとめると、①今回の目的は「発達障害に関心がない社会人(特に中間管理職)に対してアプローチし、障害や当事者の困り事について知ってもらい、当事者を支えてくれる存在を増やす」こと、②コアターゲットである「中間管理職」の世代が受け入れやすい実施内容であること。というのがこのイベントの大きな柱になります。もう少し欲張るならより多くの人に知ってもらうため、話題性のある内容にすること、などでしょうか。

では、この3つを叶えるにはどうすればいいか考えていきましょう。

まずは会場です。だいたいの場合、イベントの中身を考える前に会場を決めていきます。というのも、会場の立地、広さや設備などによってできること、できないことが大きく変わってくるからです。

例えば、主要駅構内のイベントスペースやショッピングモール内のイベントスペース(オープンスペース)であれば、不特定多数の人にアプローチできるため、サンプリングには最適な場所です。実際よく駅構内や周辺でティッシュとか配ってますよね。

一方で、人通りが多いため導線の確保に対して非常に厳しく、人が滞留し、導線を塞ぐおそれのあるステージイベント、場合によっては拡声器の使用はNGとなることが多いです。他にも大通りでサンプリングを行なう場合、道路使用許可が必要など、規制が多く、手続や審査が必要となります。

そして、最近よく見られるレンタルスペース(クローズド)を利用した屋内でのイベントの場合。発達界隈でよく見るイベントなんかもそうですが、個人が主催するイベントではレンタルスペースを借りて実施されることが多いかと思います。クローズドの最大の特徴は「興味がある人が集まる(興味がない人へのアプローチが難しい)」ということだと思います。

クローズドの場合、先ほどのオープンスペースのように導線を気にする必要はあまりないので規制や煩雑な手続きも少なく、レンタル料さえ支払えばあとは自由にできることが多いように思います。ただし、スペースの設備はピンキリで、スピーカーやプロジェクターのような基本的な設備がついていないところもあります。また、設備はあるけど利用するにはオプション料を払わなければいけないところも多いです。

少々話が横道にそれてしまいましたが、今回は「興味がない人」に向けて発信したいのでオープンスペースが適しているかと思います。もし会議室などのレンタルスペースでイベントを実施する場合は、イベントに誘引するための別の手段が必要となってきます。

 

またまた長くなってきましたので、今回はここで区切らせていただきます。次回、具体的な企画内容を更新していこうと思いますのでお楽しみに!

それでは失礼します☺️

大事なのは「驕らない」ということ

こんにちは、ほりこです。

先日、私は以下のようなツイートをしました。

 

ADHDの遅刻癖、アドバイスされたことはすでに全部やってるのよ。それでもダメ。コンサータ飲んでてもダメなの。そろそろ「遅刻はダメ」っていうのをADHDに適用しないでほしい。私だって遅刻しない自分になりたい。毎朝「今日は遅刻しないように」って必死に自分と闘ってんの。#ADHDあるある https://twitter.com/wxwe8ecekrfn0fd/status/1020277850270650368?s=21

 

このツイート、私の経験ではこれまでの中で一番拡散されています。

そして、このツイートに同じADHDの人、ADHDだけど私とは症状のタイプが違う人、ADHDではないけど遅刻癖に苦しんだことがある人、アドバイスではないけど一緒に考えたり悩んだり怒ったりしてくれる人、心理カウンセラーの人、ADHDについて知らない人...本当にたくさんの方からリプをいただきました。

おかげさまで、私は今、遅刻癖がだいぶ改善されています。見ず知らずのはずの人がこんなにも一緒になって改善方法を考えてくださったことや、いただいたアドバイスを実際に実行してみて遅刻せずに済んだことがとても大きく、私のモチベーションにもなっております。本当にありがとうございます。

そして、今回の件を経て、ひとつ私の中で大きな気付きがありました。ざっくり一言で言うとタイトルの通り「驕らない」ということの大事さに気付いたのです。

私のTwitterアカウントには約180名強のフォロワーさんがいます。私の場合は特にフォロワーさんに向けて有益な情報を発信しよう!と思っているわけではなく、あくまで自分が考えたこととか、感じたことをアウトプットするためにやってるのですが、それでも見てくれている人がいるので、一応私も発信者だと自覚はしております。今からするお話は「SNSでの発信者の自覚」と「驕りの原因」についての内容となります。

SNSにありがちなことですが、特定のジャンルの中の「有名人」とか「インフルエンサー」っていますよね。「発達障害」のジャンルも例に漏れず、「発達障害といえばこのアカウント」みたいな有名人の方が何人かいらっしゃると思います。そういう方にはたくさんのフォロワーさんがいるので情報も拡散されやすいかと思います。ましてや、発達障害のジャンルについては、発信したい人が多いような印象ありますし(私もその1人ですが)、各々「自分は発信者である」というふうに思っている部分があると思うんですよね。

少しずつフォロワーさんが増えていき、自分の発信したことがより多くの人に伝わったり、影響を与えられるようになるというのは、純粋に嬉しいことなんですよね。自分の考えに共感してもらえたり、自分が発信した情報が誰かの役に立ったというのは自信にも繋がります。徐々に「私は発信者なんだ」という自覚が強くなってくると思います。そして周りも「あなたは発信者だ」と感じるになり、インフルエンサーとそのフォロワーとしての関係が生まれると思います。

「驕り」が出てくるのはそこからだと思います。「自分は発信者でフォロワーが多い」だとか「このジャンルにおいて有名人だ」という自覚が生まれると、自分が特別な存在であるかのように錯覚したり、あくまでネットで得た情報や書店で買った本の中の知識しかないのに、有識者であるかのように立ち居振舞ってしまったりします。もちろん、そのジャンルについて無知な人と比べたら「有識者」なのかもしれません。ですが、学者や研究者など、その道の専門家でもない限り、「素人で、そのジャンルについて一般的な知識を持っている人」にすぎません。たとえ自分が当事者であったとしても「専門家でない存在」には変わりありません。

私はよくTwitterで法律や人権問題についてつぶやきますが、私が持っている法律の知識は大学4年間で専門家から学んだ「一般知識+α」くらいのものです。まったくの無知な人よりは知識を持っていますし、法的事案を理解するのも勉強したことがない人と比べるとスムーズですが、「この判例があるからこういうケースはこう対処できる」みたいなことはわからないんですね。ですが、イベントことについては(まだまだ見習いレベルではありますが)一応仕事としてやっているので「こういう場合はこう対処ができるし、あんな対処もできるよ」と言えるし、「素人でイベントの知識がある人」ではないんです。

自分が「プロ」「本職」と呼べる領域については堂々としてたらいいんです。でも自分がプロではない場合は、たとえ他の人より知識があったとしても驕るべきではないと思います。驕らず、自分を俯瞰で捉え、素直に学んだり、他人様の意見や考え方を受け止めたり、周囲に相談したりして人と関わり合っていくのが目指すべき姿だと思います。私は今回の件でそれを深く自覚しました。そしてこの「驕らない」という姿勢が自分をより快適にしてくれるのだと改めて感じています。

よく「発達障害者が社会に適応するには定型発達者に合わせ続けるしかない」だとか「無理して社会に適応しようとするのではなく、自分のペースでやればいい」とか、「福祉に頼って生活すればいい」「福祉がもっと手厚くなれば」とか、発達障害の当事者が発言しています。たしかにこの意見もその通りなんです。ですが、個人の態度を変えるだけで簡単に生きやすくなる部分も大いにあると私は思います。

 

発達障害は本当に理解されにくい障害です。当事者にならなければわからないことがものすごく多いです。でも、あなたが驕らず、卑屈にならず、素直で正しい行いをしていれば、あなたのことを心配したり、助けようとしてくれる人は絶対にいます。話を聞いたり、知識を得るだけではわからないことだらけなはずなのに、少しでも理解しようとしたり、理解はできなくても寄り添おうとしてくれる人は本当にたくさんいます。そういう人の親切心や善意をありがたく思い、感謝の気持ちを持って接し、素直に困っていることを説明してみてください。絶対に助けてくれる人がどんどん増えてくると思います。

ときには、こちらが真摯に向き合っても理解してもらえないこともあるかもしれません。悲しいけど、それは自然なことだと思うんです。発達障害は目に見えない障害ですし、相手の方に障害があろうと無かろうと、自分とは違う環境で育ち、違う価値観を持っているというだけのことです。その人たちにそれ以上理解を迫る必要はありません。そういう場合は、伝える側にとっても受け取る側にとっても「理解できない」という場合は、「無理に理解してもらう必要もないし、理解する必要もない」その距離感がベストだというだけなんです。

 

私は発達障害有識者でもなければ、法律の専門家でもありません。いくらTwitterやブログで自論をこねても社会を変えるなんてことはできません。ですが、自分をより良く変えることはできます。そして自分が変われば周りの反応も変わります。もしかしたら、それが伝播していくこともあるかもしれません。

社会により良くなってほしい・環境を改善してほしいと思うなら、まずは自分を良くしていきましょう。そしたら何か変わります。もちろん自分が変わったくらいでは態度を変えない相手もいます。でもそれはその人がそういう人だっただけで、世の中の人みんながみんなそうじゃないです。

自分を正して、まっすぐ向き合う。

私はこれから、そうやって変わっていこうと思います。

長文、乱文となりましたが、ご覧いただき、ありがとうございました。

仕事の向き、不向きなんて考えるだけムダです。

こんにちは!お久しぶりでございます。

今回は久々に真面目に発達障害の話をします。最近、愚痴や弱音の記事が続いたので、たまには真面目にね(笑)

 

テーマはタイトルの通り、「発達障害の仕事の向き、不向き」です。

結論から言いますと「発達障害だから向いてる仕事もないし、向いてない仕事もない。」と、私は思っております。

そもそも、仕事の向き、不向きに発達障害の有無は関係ありません。

「いやいや、ADHDだったら不注意があるし、ミス出来ない仕事や集中力のいる仕事は向いてないでしょ。」という声が聞こえてきそうですね(笑)

では、質問ですが、ミスが許される仕事、集中力のいらない仕事って何ですか?

もちろん、そんな仕事は世界中どこを探してもありません。もちろんミスした後の影響や責任の重さは内容によって異なります。でも、それもどんな仕事であっても一緒ですよね。

例えば、最近の話で言えば、教員の判断ミスが原因で、小学生が熱中症で死亡した事件ありますよね。あれって許されていいミスですか?絶対に違いますよね。では、外科医が手術で適切な処置を行えず、手術を受けた患者が亡くなったとします。これは許されていいミスですか?これも違いますよね。

この2つの話、どちらも人が亡くなっているんです。

ADHDだと、よく「ミスが許されない仕事は向かない」と言われます。後者の医療系の仕事なんかはその最たる例ですよね。ですが、教員はどうでしょうか?「ミスが許されない仕事」は、一般的にはあまりイメージがないかと思います。でも、生徒達の命を預かっている仕事ですから、「他人様の命を任される」という意味では、医療系の仕事と同じです。

わかりやすいように医療系と教員を例に挙げましたが、基本的には他のどんな仕事も一緒です。たとえ命を任される仕事でなくても、仕事には必ずお金が発生します。金額に関係なく、仕事というのは頂いたお金に対する責任がつきまとうものです。給料は会社から支払われますが、会社がお金を受け取る相手はお客様です。お客様がいて、お金を頂いて仕事をする以上、それがどんな仕事であっても、基本的にミスは許されていいものではないのです。

でも人間ですから、どうやったってミスはします。発達障害がなくてもミスはします。大事なのはミスをしないよう工夫すること、ミスした後の対応です。「ミスを未然に防ぐ方法や、ミスした後どう挽回するか」という引き出しをより多く作っていくことが大事です。

まとめると、①どんな仕事でも、基本的にミスはしてはいけない。②ミスを未然に防ぐために工夫すること。③ミスした後の挽回方法を備えておくこと。という当たり前すぎる結論になります。

ね、発達障害だからどうとか、仕事の向き不向きなんてあるようでないでしょ?(笑)もし向き不向きがあるとすれば、それはあなたの性格との不一致だと思います。障害云々は関係ないです。

 

では、今日はこのへんで!

ただの愚痴です。

お久しぶりです。ほりこです。

ようやくお仕事が一段落しまして、やりきった感と同時に、悔しい思いいっぱいしてきました。まぁそれは一旦置いといて。

最近、体の疲れや小さな不調をものすごく感じます。やる気も出ません。毎回案件終わりはこうなるので疲れてるだけだと思います。(月経前なのもあるんでしょうが...)

ただでさえADHDは疲れやすいです。私はコンサータを服用しているのですが、コンサータが切れた瞬間、体がどっと重くなるし、1日の疲れを一気に感じてげんなりします。最近は気絶するように寝るので、睡眠もあまりリフレッシュになってないんですよね...

そんな状態になってみて思うのは、「自分のための時間があまりにも少ないなぁ」ということです。

ここ最近ずーっと残業してたのもあって、毎日家に帰ったらメイク落として寝るだけなんですよね。で、朝起きたらシャワーして身支度して向かう先はオフィスです。で、また1日一生懸命働いて...という日々を約2ヶ月半過ごしていました。

1日24時間ありますが、睡眠に7時間、食事に1.5時間、お風呂に30分、通勤が往復2.5時間、出勤の身支度に2時間、残業せずに働いたとして8時間、その中で自分のためだけに使える時間はたったの2.5時間です。100%のうち、たったの10%しか自分のための時間がないんですよね。1日の半分以上は仕事のために活動してるっていう...しかも1ヶ月30日ある中の約22日間も。22日って7割ですよ。1ヶ月の7割を仕事中心で過ごしてると思うと、そしてそれがこの先40年続くと思うと、ゾッとします。

なんかこれって異常だな、と思います。残業せずに働いていたとしても自分のための時間ってこんなにも少ないんですよね。お金をもらっているとはいえ、「何でこんなに自分の時間を売り払って一生懸命働いてるんだろう?」と思います。「こんなに時間を売っているのにもらえるお金はこれだけか?」とも思います。

これはあくまで私の場合ですが、仮に人生を80年と考えて、社会に出るまで22年間は親の管理下で過ごし、43年間働き、余生は15年。しかも43年のうち7割は仕事中心の生活です。

いろいろ考え出すと「なんでこんなに仕事ばっかしなきゃいけねーんだよ!!私は私の時間を行きたいの!」と思ってしまって、今ブログにぶちまけている次第でございます。

毎月半分は一生懸命働いて、半分は自分の時間を過ごす...そんな社会がやってきたらいいのになぁ…

 

以上、仕事に囚われたくないほりこでした。

それではまた次の更新でお会いしましょう。