28歳。結婚から2年経って思うこと。

このブログが定期的に更新された試しなんてございませんが、1年ぶりに筆を執ります。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

気付けば年末で、もうすぐクリスマスですね。つい最近まで周りはトレンチコートを着ていたのに最近はダウンや冬用のコートを着ている人が目立ちますね。かく言う私も既にマフラーと手袋をして通勤しています。

振り返れば、今年の1年はあまりにもいろんなことがありました。

年始から4月は結婚式の準備に追われ、6月には子宮内膜症が発覚し、夏は少し休んで10月は内膜症の手術と実の家族との縁切りにも近い連絡断ち、11月は資格試験を受けて落ち、ようやく一息つこうと思ったら年末でした。

本当に、息つく間もなかったような、常に何かに駆り立てられていたような一年だったように思います。とにかく必死でした笑

結婚して2年経ち、夫のいいところも悪いところも今まで以上にわかってきた今、結婚して背負うものが増えるということはこんなにも責任が増えるんだと改めて感じています。

というのも、実は9月頃から夫が頻繁に体調を崩すようになりまして。詳細は控えますが、「夫が働けなくなったら私が家計を支えなければ」と思うことが増えました。今の私のお給料はあまり多くはありません。少しでも年収を上げようと、妊娠できるまでの間に資格の取得や直接雇用への昇格、可能であれば転職をすることも視野に入れ、まずはスキルアップを試みました。(ただ勉強時間が足りず落ちてしまったんですが…年度内に再受験予定です)

また、冒頭にも書いた通り、私自身も子宮内膜症という持病が見つかりました。妊活を考え始めた段階で産婦人科に行き検査をしたところ、両側の卵巣が腫れており、チョコレート嚢胞でした。命に関わる重大な病気ではなかったものの、放置しておくと不妊につながるというので悩んだ末、手術しました。来年からは本格的に不妊治療を始める予定です。夫婦ともに言えることですが、まだ若いと自分を過信し、小さな体調不良を見過ごしてきたことを反省いたしました…

キャリアアップ、不妊治療、家族付き合い、金銭管理…そんなことが今までよりさらに現実味を帯びてきて、「もっとちゃんとした大人にならなきゃなぁ」と思わされる日々です。一気にいろんなことができるようになるわけじゃないけど、今までサボってきたツケが回ってきて焦ってしまいます。やれることから始めようと言い聞かせつつも、焦燥感にジリジリと焼かれていくような気分です。

今までは周りの目や他人なんて興味がなかったから比べる必要もなかった。でも結婚して2年経ち、将来のことも考えるようになった今、自分のことだけを考えるわけにはいかなくなったのです。自分のことなら自分でどうにでもできるけど、今は夫や将来授かるかもしれない子どもと暮らしていくには何が最善なのか考えなければいけません。今までの自分が考えてこなかったから、周りがどうしているのかが気になります。賢い人は新卒の就活の時点である程度先を見越して行動していたのかもしれないけど。(とはいえ、私の友人たちは7割ほどが転職しているんですけどね)

これまでの自分の選択が間違っていたとは思いませんが、もう少し計画性があってもよかったなと思います。ただ、私は何事も経験しないと理解しないタイプなので、28歳・子なしの今気付けてよかったんだと思います。そう思うことにします。でないと前に進めないから。

大人になるって、今までできなかったことができるようになったり、見えなかったものが見えるようになるということだから。地道に、愚直にやっていくしかないですね。

あまり無理はしないように気をつけつつ、頑張ろうと思います。

ごらんいただきありがとうございました。ではまた次回お会いしましょう。

二度目の対人トラブル。人間関係は変わっていくのだと気付かされた話。

下書きだけが溜まっていき、全然更新していなかったほりこです。毎年言っているような気もしますが全然更新できていないまま時間だけが過ぎていくばかり…読者が少ないとはわかっているものの、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいです…来年は絶対にもっと更新するんだ…

さて、今年はコロナウイルスに悩まされて過ごす日々でしたが、皆さんは何をしていましたか?私は流行にのってどうぶつの森を楽しんでいました。最近全然ゲームも開かなくなってきたけれど、つい先月まで結構しっかりハマってました。

それから、友人の結婚祝いを機にピアノを始めました。小学生の頃、5年ほど習っていましたが、決して上手だったわけではなく練習も全然しない子だったのでかろうじて楽譜が読める程度で初心者です。昔は大嫌いだったピアノの練習も、友人の結婚祝いのためならと夏頃は毎日ピアノを弾いていましたし、毎日やれば初心者でもそれなりには弾けるようになるものですね。

前置きはさておき、本題です。先ほどお話しした結婚祝いのピアノの件ですが、実は一緒に合奏する予定だった友人たちと揉めまして、結局お披露目することはなくなりました。そういえば前回の記事も人間関係の悩みについて書いた気がしますが、その子を含む高校時代のグループの子たちと揉めたのです。正直、この歳にもなってこんなくだらないことで揉めるとは思ってもみませんでした。

今回の記事では揉めるまでの経緯とその後、現在の私の人間関係に対する価値観についてまとめていきたいと思い生ます。

詳細はこの後書きますが、きっとすごく長くなるので結論だけ先に言っておきますね。わたしは「ありがとう」と「ごめんね」が言えない人とは仲良くできないし、一度起きたことを水に流すほど心も広くないと今回の一件で気づかされました…(そもそもそんなに怒ることもないけれど)

夫にも何度も愚痴を聞いてもらいましたが、夫曰く「トラブルが起きた時にこそ人間の品性ってわかるよね」と。その通りだと思います。他者を尊重したり、感謝を示せるか否かというのは、その人の人間性が表れます。彼女たちがこれまでどんな環境で育ってきたかは詳細には知らないけれど、わたしが知っている一部分にはその人の品性が滲み出ていると思うのです。一般的にはそれを「育ちが出る」、悪い意味合いでは「お里が知れる」とも言いますね。

当たり前ですが、みんな育ってきた環境が違うから価値観は違って当然です。とはいえ、違うもの同士が己の意見を主張し合うのでは人間関係は円滑にはいきません。仲良く付き合っていくにはどこかで折り合いをつけたり、相手を尊重したり、礼儀を尽くすことが必要だと私は思います。

 

では、結論も先に話したところで、詳細に参りましょう。

経緯を詳しく説明する前に、私たちのグループのメンバーを簡単に説明しておきますね。

T=今回の新婦。大人しく真面目。Nの結婚式に呼ばれなかった。

N=前回の新婦。派手で目立つ子。今回の企画者。

A=真面目なしっかり者。仲介役に回ることが多い。

S=天然箱入り娘。前回の記事で私の悩みのタネとなっていた子。

K=落ち着いている子。Nの結婚式に呼ばれていない。

R=華やかな子。現在はタイ在住。Nの結婚式には不参加。

私=Nの結婚祝いの企画者。性格はご存知の通り。

人数も少し多く個性はバラバラで、中にはなぜ一緒にいるのか不思議な関係性の子もいますが、高校を卒業してからも何かのタイミングで集まったり連絡を取り続け、かれこれ10年の付き合いになる仲でした。では本編へ。

 

  • 起:結婚祝いとしてリモート合奏をしよう

昨年末、めでたくプロポーズされたTが今年春に結婚し、つい先日結婚式を挙げることになったのです。高校の友人である私たちはTの結婚式に招かれることになりました。しかし、コロナ禍での結婚式で余興などはできません。そこで私たちは余興とは別で手作りの動画をサプライズで結婚祝いとして贈ることにしたのです。

というのも、実は同じグループのNが結婚したときも手作りの動画をプレゼントしたのでした。その時は動画編集が趣味である私が企画し、仕切って進めていました。一緒にやる友人たちにあまり負担がかかりすぎると協力してもらえなくなるため、あまり負担をかけないように「みんなでご飯に行って思い出話でもしよう」という程度で、あとは編集でバラエティ番組風に仕立てました。(ちなみにちょうどその頃私は休職中で時間だけはたっぷりありました)

その動画が嬉しかったのか、今度はNが「Tの結婚祝いとして動画を作ろう」と言い始めました。AとNと私は頻繁に連絡を取り合う中で、まずはこの3人で動画の内容について話し合いました。その結果、高校時代の選択科目でNとS、Rと私が同じ授業を取っており最終試験で演奏した西野カナさんのBest Friendを合奏することになりました。

  • 承:準備が難航…楽器の準備や演奏の練習が進まず。

合奏となると楽器の用意も必要なので、Nの時に作った動画よりも手間も時間もお金もかかるのですが、Nは『楽器は自分で買って用意するし、練習すればできる!』というので私も反対はしませんでした。分担としては、私とNとAが楽器を演奏し、タイ在住のAとSは歌を歌い、Kが歌詞を書くことになっていました。また私は楽器の他に動画編集も担当することになっていました。

しかしNとAがなかなか楽器を購入せず、アプリを使って演奏すると言い始めたり、KやRがなかなか練習に参加しなかったりと準備は難航…また私はTの結婚祝いの準備を進める裏で自分の結婚式の準備にも忙しくしていました。また担当する楽器がピアノであることに加え、難易度高めな動画編集をしなければいけない状態でした。

  • 転:事件勃発。Nのワガママに私がブチギレ。

そんな中、なんとか形にしようと毎日ピアノの練習を続けていたところAから「原曲のテンポが速いのでもう少しゆっくりにしてほしい」との相談がありました。わたしもピアノ初心者なのでスラスラとは弾けません。また元々練習時間も限られていたので、下手くそな演奏になってしまっても大丈夫なようにスローテンポなバックミュージックを用意しておいたのでした。

事前に用意しておいたバックミュージックのテンポに合わせて練習することを提案すると、Nから「弾きにくい。ピアノのテンポに合わせたい」と言われました。音楽をされている方であればおわかりいただけるかと思いますが、テンポを合わせられる側の楽器はリズムを崩すことはできません。

その当時私はようやく指が慣れてきたものの、まだスラスラとリズムを崩さず弾ける状態ではありませんでした。またピアノがベースになるということは私の練習期間も短くなるということ。すでに二つの重めな役割を担っている中で、そんな無茶ぶり…しかし音楽の編集は私にはできません。Aに間に入ってもらい、何とかゆっくりテンポのバックミュージックに合わせて弾いてもらうことになりました。

しかし、またもや問題が。動画編集の都合上、出来るだけ元データを圧縮して欲しくなかった私は、動画提出用のアプリを指定していました。しかし、そのアプリを使用するにはメールアドレスの登録が必要だったのです。登録自体は1分程度で完了しますが、それを面倒くさがったNが「簡単だしLINEで動画を送ればいいじゃないか」と言い始めたのです。

結婚祝いとして贈る動画だから手間ひまかけて丁寧に作りたかった私と、面倒なことが嫌なNとでは、どこまでも意見が合いませんでした。その結果、これまで負荷がかかりすぎていたこともあり私が大爆発してしまいました。

  • 結:この一件でNとAとはほぼ絶縁状態に。

後ほど、Kから聞いた話では、仲裁役をしていたAは「私にはもうどうしようもない」と言い、Nは「どうやら私のせいらしい」と私の真意をあまり理解していなかったようでした。またその他のSやRは私が抜けた後のグループLINEで「任せっきりでごめん」と謝りあいになっていたようで、私を心配して連絡をくれたのはKだけでした。その後、NやAからの謝罪や、SやRからの連絡は特になく、そのままTの結婚式当日を迎えました。

今思えば、私も少し妥協してLINEでの動画提出をOKすれば良かったのかもしれませんが、ピアノの練習といつもより難易度の高い動画編集に追われ、心の余裕はありませんでした。また、これは私の性格ですが「せっかく人に贈るなら一生懸命作りたい」という気持ちが強かったのです。また人に結婚祝いとして贈るものなのに、低レベルなものを渡したくないというプライドもありました。結局サプライズは無しになり、動画もお蔵入りになりました。

でも他の子はそうではなかったのでしょう。準備段階から温度差は感じていましたが、何でも「適度でいい」と思っているNのような子とは相入れないだけの話です。また自分から企画しておいて「仕事じゃないから」と一生懸命やろうとしないNや、タイと日本で時差があるとはいえ練習にこないRも私には無責任に思えました。

私が頑固すぎる部分もあったのかもしれませんが、この一件を機に、私の彼女たちに対する見方は変わりました。いわゆるアラサーと呼ばれる年代にも差し掛かり、こんなくだらない喧嘩をするとは思ってもみなかったけど、人間関係について見つめ直すいい機会にはなりました。

社会人になり、高校生の頃ほど私たちは「同じ」ではなくなりました。職種も住んでいるところも職場環境もそれぞれ違うなかで仲良くやっていくには他人を尊重することが何よりも大事です。私もNを尊重しきれなかったし、Nもわたしの真意を最後まで理解しなかったと思います。でもきっとそれが私たちの限界点で、それ以上お互い譲る気もなかったということなのです。

  • 結論:人間関係は今後も変わっていく。その時大事にしたいものを守っていけばいい。

10年以来の友人たちと仲間割れしたことを、最初私は認めたくありませんでした。これまで育んできたものが嘘だったような気がしてしまうからです。それを受け入れられずに何とか歩み寄ろうとしたり、Tの結婚式の前の週末にAとSと3人でご飯に行ったりもしました。でも何も変わらなかったし、むしろ溝が深まっただけのような気もしました。

今後、私たちはそれぞれ結婚したり、子どもが産まれたりしてさらに境遇は変わっていくでしょう。先日、私よりひと回りほど年上の同僚に聞いてみたところ、学生時代の友人に「あれ、この子こんな子だったっけ?」と違和感を感じることはよくあることなのだそうです。

時間とともに私たちは嫌でも変化していきます。変化すると以前までは気にならなかったことが急に気になり始めたりするのです。たとえば、私の場合はこの揉め事が起こる1年前から、会うたびに同じような話しかしないことにも飽きてきていました。きっとそれは私の関心ごとが恋愛や結婚、高校時代の思い出話ではなくなったからでしょう。彼女たちだけではなく私も変わったのだと思います。

でもそれは仕方のないことだし、今ブログを書きながらようやく諦めることができるようになりました。執着していた何かを手放せたことにより、少し身軽になって余裕もできました。今は自分の挙式やキャリアアップのための勉強にエネルギーを費やしています。

今回、彼女たちとの距離を置いたことで高校時代の幼さからようやく卒業できたような気がします。便宜上、私の結婚式に彼女たちも呼びはしますが、今後それ以外の用事でプライベートをともにすることはしばらくはないと思います。

少し寂しいような気もするけれど、自分の大事にしたいものを胸に今後も一生懸命やっていきたいと思います。

それでは、また。

ステージが違う人に共感できない苦悩

久しぶりにブログを開きました。ほりこです。この半年間、ずっと人間関係に悩まされているのと、その悩みに一つの出口を与えてくれた考え方と、最近読んだ小説の話…今日はそれについて書こうと思います。

昨年9月末とつい先週の週末、私は友人2人と縁を切りました。理由は「目線が合わなくなったから」。それだけです。「そんな理由で?」と思われる方もいるでしょうが、目線が合わなくなると、こちらの考え方が相手に届かないし、相手の考え方に理解を示したり共感するのが難しくなり、会話が成り立たなくなりました。

いずれも友人は「相手を尊重せず、自分のことしか考えていない」「周りから与えられるのは当たり前だけど、自分は相手に何もしたくない」「周りのアドバイスや忠告を聞かない、理解できない」という、思いやりのないことをし続けていました。おそらくそれは彼女自身が悪いというわけではなく、彼女たちがこれまで「人間関係で挫折したことがない」からだと私は思っています。

この話と関連してくるのが、私が先日読み終えた『ナイルパーチの女子会』という柚木麻子さんの小説です。

 

ナイルパーチの女子会 (文春文庫)

ナイルパーチの女子会 (文春文庫)

 

 

キャッチーなタイトルとは裏腹に、女性同士の友情について深く鋭く描いた作品なのですが、この物語に出てくる2人の主人公はいずれも30歳で「女友達がいない」という共通点があります。裕福な家庭で大切に育てられた栄利子と、問題を抱えた家庭で育った翔子。2人とも自分の心地よい環境に身を置き、他人とぶつかりそうになると、その現実から目を背けたまま30歳になったようでした。そのせいか主人公たちは物語の終盤までずっと「自分の都合しか考えていない」「自分が上手くいかないのは環境や相手のせいだ」と周りを責め続けます。

前々からこのブログでも言い続けていますが、環境や他人のせいにして、「それさえなんとかなれば私は幸せになれるはず」と期待することはとても愚かなことです。どんなに恵まれない環境にいようと、大人になって自分でお金を稼いで、自分の意思で判断することができれば前に進むことはできます。前に進めば道は開けていくし、想像していた未来とは違ってもちょっとずつ環境は変化していきます。自分の人生を豊かにするのも貧しくするのも自分自身です。

私が「他人や周りはたいていの場合こちらの期待通りには動いてくれない」ということに気付いたのが7年前、「自分の境遇を恨んでも現実は変わらないなら自分が変わるしかない」というのに気付いたのが4年前、「自分が相手に求めるなら、まずは自分が相手に与えればいい」「類は友を呼ぶし、自分を取り巻く人達は自分自身を写す鏡」と気付いたのが昨年で、今は「誰かに変わってもらいたいなら自分自身がまず変わるのが手っ取り早いし、どう頑張っても他人は変えられない」「たいていのことは自分の選択が引き起こした結果でしかないし、それは自分の責任。逆に言えば、今の自分の決断や選択で未来はどうにでもなる」という価値観です。だから他人や周りに原因があると考える人とは話が噛み合わないのです。

「もしかしたら私が不寛容なせいで他責の価値観を受け入れられないのかもしれない」と悩み始めた頃、私を救ってくれたブログがありました。

【人生のステージ(魂レベル)】にある4つの段階と高い人低い人の特徴 – 人生とはもらいもの

このブログでいうところの〈貢献のステージ〉に私はいますが、彼女たちは〈欲望のステージ〉にいたんだと思います。

たとえば、10階建てのマンションがあるとして、1階の住人と、3階の住人と、7階の住人と、10階の住人が見ている景色はそれぞれ全然違うはず。1階の住人には10階にいる人が見ている景色は見えないから、10階の住人がいくら景色の美しさを語っても1階の人には理解できないのです。だから「そんなのないよ。だって私には見えてないから」と言ってしまい、それが見える場所があることに気付けません。「人は今見えている景色しか信じられない」ということなのかもしれません。

とはいえ、私も彼女たちと同じ段階を通ってきたはず。過去には、わがままで自分のことしか考えられない時代もありました。なのに何故彼女たちには共感できなくなってしまったのか…

それは、私が〈欲望のステージ〉にいたのが7年前だからです。皆さんは7年前の自分が何を考えて、友人たちにどのように振る舞っていたか思い出せますか?印象的な出来事は思い出せるにせよ、普通は7年も前の気持ちを鮮明に思い出すことは難しいはずです。

私は、共感できないことが悪いことだとは思いません。20代後半に差し掛かるとライフステージが変わって価値観が合わなくなるのはよくあることです。そして価値観が合わないのも違う人間同士なので当たり前ですし、異なる価値観と上手く付き合えれば会話はできます。ただ、魂のステージが違うと、自分とは見えている景色が違うため、どうしても共感したり、理解し合えないのです。

自分がステップアップした証拠だとは理解しつつも、昔からの友人と合わなくなりつつあることに気持ちがついていきません…アラサーって難しいですね…

また気が向いたら更新します。その時まで。

普通になれないはずの私が普通になりつつある今日この頃

もう数時間もすれば旅行の身支度をして5時半の電車に乗らなければいけないのに一睡もできないほりこです。気付けば前回の更新から4ヶ月が過ぎようとしています。ほんとに時の流れが早すぎます…

さて、私ごとですが、この4ヶ月の間に新居に引っ越し、そして入籍致しました。最初は実家で家事をほとんどやらなかった私が結婚して家事をこなせるのか、私も周囲も不安しかありませんでしたが、やってみたら意外にもちゃんとできました。(とはいえ食器洗いだけは溜めてしまいがちだけど)

また、前回の記事では退職をご報告しましたが、このたび無事に次の就職先も決まり、派遣社員として事務職にチャレンジすることになりました。ADHDの私に事務職が務まるのか不安はありますが、家事と同じく、やってみたら意外とできるかもしれないので、あまり気を張らずにいたいと思います。(気を張ってもいいことはないのでね…)

この数ヶ月での変化を振り返ってみると、今まで「私は普通になれない」と思い込んでいたものがことごとく覆されているように思います。

ゼクシィのコラムを読んでいると、令和の時代になっても、結婚を機に正社員で働くことを辞めて派遣社員やパートで働く人はけっこう多いらしく、実際に私もその道を選択した1人になりました。

私の場合は前職の職業柄があまりにも結婚生活にそぐわないこととパワハラに耐えきれなかったことが主な退職理由ですが、その後の転職活動で様々な企業に応募し面接を受けましたが、ことごとく落とされました。

前回の転職活動よりも頑張ったし、面接もそんなに悪くなかったと思うものばかりでしたが、結婚とメンタルを崩して退職したことをネガティブに捉えられたのか、とにかく落ち続け、拾ってくれたのが今回就職する派遣会社でした。待遇も良くワークライフバランスも取れそうだったので何も不満はないですが、モヤモヤが残る転職活動となりました。

(今どき、結婚しても働き続けるのが当たり前な時代なのに、パワハラや労働環境が悪くてメンタルを崩して辞めていく人なんてゴロゴロいるのに、それをネガティブに捉えられて落とされるなんてあんまりですよね…)

そんなこんなで、私は結婚して派遣社員として働くという、一般的な女性の人生ルートに乗り始めたのです。

正直ホッとしました。しかし、ADHDの私でもこのルートを選択できたことに安心した反面、「普通になれない=特性を活かして特別な存在になりたい」と思っていたので、結婚という選択をしたことで個性やキャリアを奪われたような気がして虚しい気持ちになりました。

結婚生活は幸せで穏やかで楽しいけど、心のどこかに「結婚していなければキャリアは途絶えなかっただろうか。特別な存在になれたんだろうか」と考えてしまいます。

私の気持ちや家族の応援とは裏腹に、社会にキャリアアップや私自身の個性を許さないと言われているような気がして苦しいです。

少なくとも、私の子どもが生まれて大人になる時代には、こんな理不尽な思いをしなくていいように、そして私自身も社会に押し潰されないように、何か変わっていけたらいいなと思う今日この頃です。

ただの近況報告になってしまいましたが、今日はこの辺で。また気が向いたら更新します。

 

「普通」にはなれない発達障害の私の生き方

とってもお久しぶりです。ほりこです。

簡単に近況報告をしますと、発達障害に偏見をゴリゴリに持ってる「自称・私、障害者に理解あるから」という先輩とがっつり一緒に仕事をした結果、精神を病み、休職。

そしてつい先週、退職しました!いえぇえい!イベントの仕事は大好きだったので残念でしたが、何事も精神病んでまで働く必要はないと思ってるので、万事OKです!

さて、久しぶりに書くトピックは、私なりの生き方の話。

私には超ネガティブ思考な彼氏がいまして、彼が落ち込むたびに「生きてりゃ人生なんとでもなるから大丈夫!」と励ましているのですが、この「生きてりゃ人生なんとでもなるから大丈夫!」の考えに至るまでに、私の中でもいろいろな葛藤があったのです。

前の記事でも書きましたが、発達障害を抱えながら生活していると、自尊心はどんどん削られていき「病む→悟りを開く→復活→病む→悟る→復活」のループを繰り返すことになります。

私はメンタルは強くないので、病むときは自殺を本気で考えるくらい病むタイプです。ただ、発達障害ゆえに人から嫌なことを言われて傷付くことには慣れていますし、その分、立ち直るための考え方も知っています。

それが「生きてりゃ人生なんとでもなるから大丈夫!」というものです。

 

私は、物心ついた頃から、親や周りにいる友達とはまったく違った価値観を持っていました。周りからは「変わった子だね」「個性的だね」と言われ続けてきたし、未だに「ほりこは個性的」「ほりこは普通じゃない」と言われます。

前回の記事にも書きましたが、「普通じゃない」ということは別に悪いことではないし、個性として素敵なことだと思います。ただ、いろんな人に「普通じゃない」と言われ続けた私は、いつからか「普通じゃない自分」をコンプレックスに思うようになりました。だから「普通になること」を目指して、高校も普通科の学校に進みましたし、大学も法学部に進み、そして卒業後は証券会社に就職しました。

でも、いつも心の中に違和感がありました。「私が本当にやりたいことはこれじゃない」「空気を読むんじゃなくて、もっと何も考えずに人としゃべりたい」「周りの目を気にせず、自分が本当にやりたいことのために一生懸命になりたい」ずっとそんな想いをくすぶらせていたのです。

ただ、私の両親は「普通であること」を望む人でした。私がADHDであると診断が下りた後も、私が「普通」の社会で適応できるようになってほしいと望んでいました。

証券会社に就職し、堅苦しい決まりごとを遵守しながら働くうちに「私は『普通』にはなれない」ということにようやく気付きました。

今まで一生懸命、なんとか「普通」になろうとして、進路だけでも「普通」であろうとしていたこともあり、それに気付いた時はとてもショックで「自分は社会に受け入れてもらえない存在なんじゃないか」と思い詰め、絶望しそうになっていました。

そんな時、新規開拓先のとあるおじさんのところに、久々に顔を出してみたんです。私が精神的に病んでいることを表情から読み取ったおじさんは、私にとある言葉をかけてくれました。

「会社員っていうのは、基本的に権利なんてない。会社のコマとして働かなきゃいけない。でも、そんな会社員に唯一与えられた権利がある。それが辞めることだよ」と。そして私に「死んだらあかんで。死なんかったら人間どうにかなるんやから」と教えてくれました。

その後、私は証券会社を退職し、イベント制作会社に転職。ようやく本当にやりたいことを仕事にすることができました。(まぁ、それも先日辞めたんですが…笑)

イベント会社に就職してからは、個性的な人に囲まれて仕事をしていたこともあり、楽しい日々を過ごしていました。ADHDが仕事の邪魔をして落ち込むことはあっても、不思議と辞めたいとは思いませんでした。(それなのに辞めた理由は先輩のパワハラと結婚が理由です。先輩のパワハラと結婚がなければ今でも続けていたと思います。)

私は、そのおじさんの言葉で「人間死ななきゃどうにでもなる」と考えることができました。

「生きてりゃ人生どうにでもなる。たとえ今精神を病んでいても、周りと同じようにできなくても、未来が不安でも、生きてさえいれば大丈夫なんだ」と考えられるようになってからは、心を病むことはあっても、絶望することはなくなりました。

 

実は、私はもうすぐ結婚します。結婚生活のことも考えて転職活動も進めています。

ADHDの特性や自分の性格を考えると、本当にこの先やっていけるのか、この先、私が私らしく生きていける日は来るのか?などいろいろと不安に思うこともありますが、「死なんかったら人間どうにかなる」というおじさんからもらった言葉を胸に、なんとかやっていきたいと思います。

ほんとに、人間生きてさえいれば大丈夫なんです。たとえ今がつらくても、苦しくても、生きてさえいれば、孤独でも、絶望しそうでもいいんです。死なずに足掻いていれば報われる可能性があります。でも死んでしまったら報われる可能性は0%です。だったら、生きている方がトクだと思いませんか?

 

私はこれからも「普通」になれないままだと思います。だから「普通じゃない人」になっていこうと思います。私と同じように「普通じゃない人」が「普通じゃなくていいんだ」と思える社会をつくる、その手助けをすることが今の私の夢です。

 

この記事が誰かの役に立てば幸いです。

 

 

【答えはない】障害者の正義VS健常者のルール

気付いたら年度が変わる季節になってました。あけましてだいぶ経ちましたね、今年もよろしくお願いします。(前回の更新日はなんと2018年10月30日!時の流れが早すぎてついていけん!)

さーて、なんと4ヶ月ぶりのブログとなるわけですけれども、今回はTwitterをきっかけに、個人的に深く考察したいことがあってはてなブログを開きました。いつも言葉強めで発達さんにキツめな私ですが、今回はわりと発達さんに寄り添った目線になるかも?

まず、Twitterでこんな投稿を見たことが今回の考察のきっかけです。

「あ、これ私のことだ!」と思うほど共感しましたし「やっぱこれ私だけじゃないよね?!」と思って、いろいろ考えてみたんです。

そう、私を含めて全ての発達障害の人で「今まで発達特性で苦労したことは一度もない」なんて人、ほとんどいないと思うんですよね。比較的問題なく、周囲にも恵まれ順調そうに過ごしているように見える人でも「そういう風に見えてるだけ」で、見えないところでは絶対障害に苦しんでると思うんですよ。

このツイートには続きがあって、その内容を簡潔にまとめますと、「発達が自分の正義のために攻撃的になるのは『自分はダメな人間なんかじゃない』と必死に努力しているから」だと思っています。(細かい考察はリンクのTwitterを見てみてくださいね)

では「発達が努力する過程で周りの人を攻撃してもいいのか?」というとそれはNO!だと思うんです。ですが、発達が「自分の正義=自分はダメな人間なんかじゃない」という想いを守るために周囲を攻撃してしまうようになるまでのバックグラウンドには、本来ならば尊重されるはずの「個性になるはずだった部分=障害による特性」を健常者に否定され続けてきた過去があります。

健常者のルールから外れた行動を取った時、発達のほとんどの人は「あなたは間違っている」と何度も言われ続けてきています。本当にことあるごとに。たとえ自分の発達特性を理解していても、健常者のルールに沿った行動ができない、言い換えれば「周囲の期待に応えられない自分」を好きになるなんて無理です。

私の場合はADHDですから、時間を守ったり計画を立てたりすることが極端に苦手です。でも生活する上では必須スキルだし、健常者にとっては何の苦もなくできること。だから健常者の人は「大半の人はできるし、この子も私と同じようにきっとできるはずだ」と期待して私に仕事を振ってきます。でもそれができない。しかも何度注意されてもなかなか治りません。その度に、周りから失望した態度を取られてきたし、自己肯定感も削られていきました。

こういうことが日常茶飯事なのが発達障害者だと思います。もちろん上手くいく日もあるけど、上手くいかない日の方が圧倒的に多いです。生きることに絶望したっておかしくないくらいの苦しみを抱えながら頑張る発達障害者にとって「私はダメな人間なんかじゃない、価値ある人間なんだ」という想いは、言葉通り「命綱」だと思います。その命綱が何者かの手によって傷付けられようものなら全力で抵抗し、時には武力行使も厭わない。なぜならそれは発達障害者にとっては命を脅かす存在から身を守る「正当防衛」だからです。それくらい重たく、深いものだと思います。発達障害者が抱えるものって。だから私は、自分の正義を守るために攻撃的な態度を取る発達障害者を批判することはしないし、できないです。

一方で、ルールというのは個人を尊重するためにあります。偉大な詩人・金子みすゞさんは「みんなちがって、みんないい」と表現しておられますが、たとえ家族であったとしても、両親や兄弟は私とは別の人間ですし、姿形も価値観も異なる別世界を持つ人です。家族でさえそうなんですから、友人や恋人、職場の同僚、はたまた海外に住む外国人なんかと考え方が違うのは当たり前です。

でも今のところ、銀河系で人間が生存できる惑星は地球しかないし、たった一つの惑星に70億人も住んでいますし、大陸も6つしかない。そんな中で70億人が70億通りの自由を主張してしまったら、地球なんてあっと言う間に滅亡してると思います。だから一つの惑星に70億人全員ができるだけ不便少なく暮らしていけるようにルールがあるんだと思いますし、そのルールを守らなきゃいけないんだと思います。

でも、その「みんなが快適に過ごしていくためのルール」を守るのが難しいのが発達障害者です。さっきも書いた通り、ルールは70億人全員のためにあります。でも70億人のうちの10%が「ルールを守ることができない人たち」だなんて誰も想定していなかったんでしょう。例えば「約束は守らなければいけない」というような、遥か昔から存在し、今や当たり前になっているルールでさえも「約束を守れない人がいるかもしれない」ということは想定されていません。でも、実際には「約束を守れない人」が存在します。いつの時代もそうですが、ルールを守れない、あるいは集団に馴染めないイレギュラーな存在は排除されるか無理やり型にハメられるか、孤立します。いじめなんかがその最たる例じゃないでしょうか。

ここでもう一度、Twitterの内容に戻ります。

発達障害者はこれまでに何度も「あなたの行動は間違っている」と言われ続けてきました。その度に傷付き、自信を失い、自分を嫌いになっています。でも「自分はダメな人間なんかじゃない。価値ある人間なんだ」と腐らずに、自分を信じて毎日努力します。そんな人が自分の命綱ともなる自分の「正義」を受け入れてもらえなかったらどうでしょうか?絶望して自ら命を絶つ人もいるかもしれないし、人間らしく健やかに生きていくことを放棄するかもしれません。だから必死に自分の「正義」を守るんです。私は、それは「正当防衛」だと思います。

決して「正当防衛であれば周りを攻撃してもいい」と言いたいわけではないですし、みんなが快適に過ごすためのルールを蔑ろにしていいとも思ってません。ただ、みんなを守るということは「みんな」になれなかった誰かを排除し、苦しめることと同義だと思います。じゃあ「みんな」が少数派の人たちを排除して苦しめてきた罪は、果たして誰が償えばいいんでしょうね?

なんだか壮大な話になってしまいましたが、きっとこの話に答えなどありません。こんな長文を記事にしておきながら、私自身もまだまだひとつの結論を導き出せずにいます。これを読んだ皆さんがどう感じられるか、ぜひコメントいただければ幸いです。

では、また。

ADHDが子どもを産んだらどうなるんだろう?

1ヶ月ぶりの更新です。ほりこです。この仕事をしていると1ヶ月が気付いたら過ぎてたなんてことは当たり前なんですけど、「最近ブログ書いてないなぁ」と思ったら1ヶ月経ってて本当びっくりしました…。気付けばもう10月終わるし…時間が過ぎるのが早すぎます...。

さて、今日は趣味垢の方でたまたま発見した連載コラムを読んで、そこから感じたことを書いていきたいと思います。女性の方は必見ですよ。

今回、ご紹介するのはこちらのコラムです。Wotopi「産むことにメリットって、本当にあるんですか?」https://wotopi.jp/archives/cat_summary/umidoki

非常にセンシティブな話題について、愚直に突っ込んで書かれている連載でした。筆者の文章が非常に生々しくて鋭く、とても興味深い内容でした。うっかり2駅乗り過ごして遅刻してしまうくらいには過集中を発揮し、夢中になって読んでいました。

連載の具体的な内容や趣旨は、こちらのURLからご自身でご確認いただくとして、ADHDの私がとても引っかかった内容が、連載 第12回の「空気に流されて、うっかり産むな。トコトン戦略的に産んだ方がいい理由」https://wotopi.jp/archives/53647 でした。

どうやら女性の身体というのは、妊娠期間〜産後しばらくの間、ストラテラコンサータを飲んでいない時のADHDのような状態に陥るようなのです。

筆者である鈴木氏は、このコラムを拝見している限り、おそらく発達障害ではないことが窺えます。とてもわかりやすく知的な文章を書かれる方ですから、おそらくワーキングママとしても非常に優れた方なんだと思います。そんな彼女は、妊娠期間〜産後半年の間の異変について、こう仰っているのです。

 

・酒が飲めない。
(ま、これが最大の不自由でしょう)
レッドブルが飲めない。
(あれ、カフェイン入ってます)
・頭の回転が鈍くなりすぎて、麻雀ができない。
(できなくはないと思うけど、今よりさらに負ける回数は増えます)
・集中力がなさすぎて契約書が読めない。
・論理的構成力が低下してプレゼン用のパワポが作れない。
・抽象的思考力も低下してスプレッドシートでミスりまくる。
・眠すぎて企画会議に集中できない。
・誰と誰が仲悪くて……みたいな複雑な人間関係図を管理できなくなる。

と、なります。

要は、知的活動が著しく制限されるんです。仕事にならないんです。個人差はあると思いますが、少なくとも私のまわりのワーママ編集者のあいだでは、次に書くことは、妊娠中のあるあるです。(Wotopi「空気に流されて、うっかり産むな。トコトン戦略的に産んだ方がいい理由」より引用)

 

お酒やレッドブルや麻雀のくだりはさておき、それ以降の記述はADHDの私からすれば「その状態、コンサータ飲んでない時の私やん!」となるわけです。同じADHDの方であれば「それな」となっていらっしゃるのではないでしょうか。その直後、私は気付いたのです。妊娠期間中、なんなら妊娠準備期間からコンサータが飲めなくなるということに。

お恥ずかしながら、私はこのコラムを読んで初めて「妊娠期間中〜産後しばらくの間、女性の身体はADHDのような状態に陥る」ということを知りました。妊娠期間中や産後しばらくは服薬してはいけないということは知っていたけれど、妊娠中は健常者でもADHDのようになるということは考えたこともなかったのです。「コンサータ飲めなくなるのは不安だなぁ」とか「つわりに耐えながら仕事なんてできるのかな?」とかならぼんやり考えたことはありますが、妊娠中の身体の変化に関しては疎く、このコラムを読んだ時「コンサータも飲めないし、つわりにも耐えなきゃいけないのに、妊娠したらさらにADHDみたいな症状出てくるの?!そんなの絶対仕事出来なくない?!」という激しい不安に襲われました。

私のブログを読んでくださっている方はご存知かと思いますが、私はADHDだからといってキャリアを積むことや結婚や出産、育児を諦めるつもりはありません。どんなに叩きのめされても、ひと通り落ち込んだらまた立ち上がって1ミリでも這い進みたい諦めが悪いタイプです。仕事も結婚も妊娠も出産も育児も、全部諦めなくていいように、自分らしく何にも諦めない人生を送れるように頑張ろうと日々マイペースにやっております。

そもそも、仕事柄、妊娠初期の不安定な時期に夜遅くまで働いたり、力仕事をやったりはできないとも思ってはいるんですが、それ以前の問題として、妊娠すると服薬ができなくなる上に、ホルモンバランスの都合上、さらに判断能力が低下するとなると何もできなくなるんじゃないか?と不安になります。

もちろん妊娠中のことだけではなく、出産後も。自分の管理すら苦手であるADHDの私が会話もままならない新生児を育てることができるんでしょうか?世のパートで働くお母さんやワーキングママは子育てをしながら仕事も頑張っているけれど、私には到底そんなハードなマルチタスクできないと思ってしまうんですよね。

そういう事実がわかりきっているからか「発達障害者は結婚して子どもを持つべきではない」とも言われますが、それは障害者に対する人権侵害でしかないと思うし、もっと言えば「障害がある人を排除しなきゃ子育てできない社会ってどうなのよ?」という話だと思います。それくらい健常者の人にとっても子育てが難しい社会だと思うし、健常者に難しいなら障害者にはもっと難しい社会だと思うのです。

ここからは私事ばかりになりますが、私は来年の秋くらいに現在お付き合いしている彼と結婚しようと考えています。結婚式などはもっと先になりそうですが、同棲し婚姻届を出すのは来年の予定です。自分自身の結婚を目前にして、結婚後は仕事をどうしようか、将来子どもを授かったらどうしようか、など将来についてより現実的に考える時間が増えました。その中で、やはり、毎度毎度ADHDであることが私にとって一つの負荷であることは間違いありません。みんなそうでしょうけど、「どうすればもっと上手くやれるだろう?」「ADHDだからといって今のままではダメだ、もっとやり方があるはずだ」と毎日そんなことを考えています。

「自立はしたいけど、何事も自分の力だけでやっていけるほどのキャパシティはない」「他人様の優しさに甘えて、世間様の白い目に耐えながら生きていくしかない」「障害者にとって生きづらい世の中だからこそ無理は禁物」頭の中でずっとこんなことが渦巻いていて、前に進めなくなってきている自分がいます。この歳になって初めて、発達障害を抱え、女性としてキャリアを積み、プライベートを充実させることが如何に難しい社会なのかということ、そしてこんなに生きづらい環境にあっても自分の人生には言い訳ができないのだということを目の当たりにして、最近は少し前に進みづらくなりました。

今後、もっと障害者にとって優しい社会になりますように。女性がもっと我慢しなくていい社会になりますように。人と違うってだけで生きづらくて、女性というだけでキャリアを断念しなくてもよくて、頑張りすぎなくてもやっていける社会になりますように。そう願うばかりです。

長くなりましたが、今日はこれにて失礼致します。