「普通」にはなれない発達障害の私の生き方

とってもお久しぶりです。ほりこです。

簡単に近況報告をしますと、発達障害に偏見をゴリゴリに持ってる「自称・私、障害者に理解あるから」という先輩とがっつり一緒に仕事をした結果、精神を病み、休職。

そしてつい先週、退職しました!いえぇえい!イベントの仕事は大好きだったので残念でしたが、何事も精神病んでまで働く必要はないと思ってるので、万事OKです!

さて、久しぶりに書くトピックは、私なりの生き方の話。

私には超ネガティブ思考な彼氏がいまして、彼が落ち込むたびに「生きてりゃ人生なんとでもなるから大丈夫!」と励ましているのですが、この「生きてりゃ人生なんとでもなるから大丈夫!」の考えに至るまでに、私の中でもいろいろな葛藤があったのです。

前の記事でも書きましたが、発達障害を抱えながら生活していると、自尊心はどんどん削られていき「病む→悟りを開く→復活→病む→悟る→復活」のループを繰り返すことになります。

私はメンタルは強くないので、病むときは自殺を本気で考えるくらい病むタイプです。ただ、発達障害ゆえに人から嫌なことを言われて傷付くことには慣れていますし、その分、立ち直るための考え方も知っています。

それが「生きてりゃ人生なんとでもなるから大丈夫!」というものです。

 

私は、物心ついた頃から、親や周りにいる友達とはまったく違った価値観を持っていました。周りからは「変わった子だね」「個性的だね」と言われ続けてきたし、未だに「ほりこは個性的」「ほりこは普通じゃない」と言われます。

前回の記事にも書きましたが、「普通じゃない」ということは別に悪いことではないし、個性として素敵なことだと思います。ただ、いろんな人に「普通じゃない」と言われ続けた私は、いつからか「普通じゃない自分」をコンプレックスに思うようになりました。だから「普通になること」を目指して、高校も普通科の学校に進みましたし、大学も法学部に進み、そして卒業後は証券会社に就職しました。

でも、いつも心の中に違和感がありました。「私が本当にやりたいことはこれじゃない」「空気を読むんじゃなくて、もっと何も考えずに人としゃべりたい」「周りの目を気にせず、自分が本当にやりたいことのために一生懸命になりたい」ずっとそんな想いをくすぶらせていたのです。

ただ、私の両親は「普通であること」を望む人でした。私がADHDであると診断が下りた後も、私が「普通」の社会で適応できるようになってほしいと望んでいました。

証券会社に就職し、堅苦しい決まりごとを遵守しながら働くうちに「私は『普通』にはなれない」ということにようやく気付きました。

今まで一生懸命、なんとか「普通」になろうとして、進路だけでも「普通」であろうとしていたこともあり、それに気付いた時はとてもショックで「自分は社会に受け入れてもらえない存在なんじゃないか」と思い詰め、絶望しそうになっていました。

そんな時、新規開拓先のとあるおじさんのところに、久々に顔を出してみたんです。私が精神的に病んでいることを表情から読み取ったおじさんは、私にとある言葉をかけてくれました。

「会社員っていうのは、基本的に権利なんてない。会社のコマとして働かなきゃいけない。でも、そんな会社員に唯一与えられた権利がある。それが辞めることだよ」と。そして私に「死んだらあかんで。死なんかったら人間どうにかなるんやから」と教えてくれました。

その後、私は証券会社を退職し、イベント制作会社に転職。ようやく本当にやりたいことを仕事にすることができました。(まぁ、それも先日辞めたんですが…笑)

イベント会社に就職してからは、個性的な人に囲まれて仕事をしていたこともあり、楽しい日々を過ごしていました。ADHDが仕事の邪魔をして落ち込むことはあっても、不思議と辞めたいとは思いませんでした。(それなのに辞めた理由は先輩のパワハラと結婚が理由です。先輩のパワハラと結婚がなければ今でも続けていたと思います。)

私は、そのおじさんの言葉で「人間死ななきゃどうにでもなる」と考えることができました。

「生きてりゃ人生どうにでもなる。たとえ今精神を病んでいても、周りと同じようにできなくても、未来が不安でも、生きてさえいれば大丈夫なんだ」と考えられるようになってからは、心を病むことはあっても、絶望することはなくなりました。

 

実は、私はもうすぐ結婚します。結婚生活のことも考えて転職活動も進めています。

ADHDの特性や自分の性格を考えると、本当にこの先やっていけるのか、この先、私が私らしく生きていける日は来るのか?などいろいろと不安に思うこともありますが、「死なんかったら人間どうにかなる」というおじさんからもらった言葉を胸に、なんとかやっていきたいと思います。

ほんとに、人間生きてさえいれば大丈夫なんです。たとえ今がつらくても、苦しくても、生きてさえいれば、孤独でも、絶望しそうでもいいんです。死なずに足掻いていれば報われる可能性があります。でも死んでしまったら報われる可能性は0%です。だったら、生きている方がトクだと思いませんか?

 

私はこれからも「普通」になれないままだと思います。だから「普通じゃない人」になっていこうと思います。私と同じように「普通じゃない人」が「普通じゃなくていいんだ」と思える社会をつくる、その手助けをすることが今の私の夢です。

 

この記事が誰かの役に立てば幸いです。

 

 

【答えはない】障害者の正義VS健常者のルール

気付いたら年度が変わる季節になってました。あけましてだいぶ経ちましたね、今年もよろしくお願いします。(前回の更新日はなんと2018年10月30日!時の流れが早すぎてついていけん!)

さーて、なんと4ヶ月ぶりのブログとなるわけですけれども、今回はTwitterをきっかけに、個人的に深く考察したいことがあってはてなブログを開きました。いつも言葉強めで発達さんにキツめな私ですが、今回はわりと発達さんに寄り添った目線になるかも?

まず、Twitterでこんな投稿を見たことが今回の考察のきっかけです。

「あ、これ私のことだ!」と思うほど共感しましたし「やっぱこれ私だけじゃないよね?!」と思って、いろいろ考えてみたんです。

そう、私を含めて全ての発達障害の人で「今まで発達特性で苦労したことは一度もない」なんて人、ほとんどいないと思うんですよね。比較的問題なく、周囲にも恵まれ順調そうに過ごしているように見える人でも「そういう風に見えてるだけ」で、見えないところでは絶対障害に苦しんでると思うんですよ。

このツイートには続きがあって、その内容を簡潔にまとめますと、「発達が自分の正義のために攻撃的になるのは『自分はダメな人間なんかじゃない』と必死に努力しているから」だと思っています。(細かい考察はリンクのTwitterを見てみてくださいね)

では「発達が努力する過程で周りの人を攻撃してもいいのか?」というとそれはNO!だと思うんです。ですが、発達が「自分の正義=自分はダメな人間なんかじゃない」という想いを守るために周囲を攻撃してしまうようになるまでのバックグラウンドには、本来ならば尊重されるはずの「個性になるはずだった部分=障害による特性」を健常者に否定され続けてきた過去があります。

健常者のルールから外れた行動を取った時、発達のほとんどの人は「あなたは間違っている」と何度も言われ続けてきています。本当にことあるごとに。たとえ自分の発達特性を理解していても、健常者のルールに沿った行動ができない、言い換えれば「周囲の期待に応えられない自分」を好きになるなんて無理です。

私の場合はADHDですから、時間を守ったり計画を立てたりすることが極端に苦手です。でも生活する上では必須スキルだし、健常者にとっては何の苦もなくできること。だから健常者の人は「大半の人はできるし、この子も私と同じようにきっとできるはずだ」と期待して私に仕事を振ってきます。でもそれができない。しかも何度注意されてもなかなか治りません。その度に、周りから失望した態度を取られてきたし、自己肯定感も削られていきました。

こういうことが日常茶飯事なのが発達障害者だと思います。もちろん上手くいく日もあるけど、上手くいかない日の方が圧倒的に多いです。生きることに絶望したっておかしくないくらいの苦しみを抱えながら頑張る発達障害者にとって「私はダメな人間なんかじゃない、価値ある人間なんだ」という想いは、言葉通り「命綱」だと思います。その命綱が何者かの手によって傷付けられようものなら全力で抵抗し、時には武力行使も厭わない。なぜならそれは発達障害者にとっては命を脅かす存在から身を守る「正当防衛」だからです。それくらい重たく、深いものだと思います。発達障害者が抱えるものって。だから私は、自分の正義を守るために攻撃的な態度を取る発達障害者を批判することはしないし、できないです。

一方で、ルールというのは個人を尊重するためにあります。偉大な詩人・金子みすゞさんは「みんなちがって、みんないい」と表現しておられますが、たとえ家族であったとしても、両親や兄弟は私とは別の人間ですし、姿形も価値観も異なる別世界を持つ人です。家族でさえそうなんですから、友人や恋人、職場の同僚、はたまた海外に住む外国人なんかと考え方が違うのは当たり前です。

でも今のところ、銀河系で人間が生存できる惑星は地球しかないし、たった一つの惑星に70億人も住んでいますし、大陸も6つしかない。そんな中で70億人が70億通りの自由を主張してしまったら、地球なんてあっと言う間に滅亡してると思います。だから一つの惑星に70億人全員ができるだけ不便少なく暮らしていけるようにルールがあるんだと思いますし、そのルールを守らなきゃいけないんだと思います。

でも、その「みんなが快適に過ごしていくためのルール」を守るのが難しいのが発達障害者です。さっきも書いた通り、ルールは70億人全員のためにあります。でも70億人のうちの10%が「ルールを守ることができない人たち」だなんて誰も想定していなかったんでしょう。例えば「約束は守らなければいけない」というような、遥か昔から存在し、今や当たり前になっているルールでさえも「約束を守れない人がいるかもしれない」ということは想定されていません。でも、実際には「約束を守れない人」が存在します。いつの時代もそうですが、ルールを守れない、あるいは集団に馴染めないイレギュラーな存在は排除されるか無理やり型にハメられるか、孤立します。いじめなんかがその最たる例じゃないでしょうか。

ここでもう一度、Twitterの内容に戻ります。

発達障害者はこれまでに何度も「あなたの行動は間違っている」と言われ続けてきました。その度に傷付き、自信を失い、自分を嫌いになっています。でも「自分はダメな人間なんかじゃない。価値ある人間なんだ」と腐らずに、自分を信じて毎日努力します。そんな人が自分の命綱ともなる自分の「正義」を受け入れてもらえなかったらどうでしょうか?絶望して自ら命を絶つ人もいるかもしれないし、人間らしく健やかに生きていくことを放棄するかもしれません。だから必死に自分の「正義」を守るんです。私は、それは「正当防衛」だと思います。

決して「正当防衛であれば周りを攻撃してもいい」と言いたいわけではないですし、みんなが快適に過ごすためのルールを蔑ろにしていいとも思ってません。ただ、みんなを守るということは「みんな」になれなかった誰かを排除し、苦しめることと同義だと思います。じゃあ「みんな」が少数派の人たちを排除して苦しめてきた罪は、果たして誰が償えばいいんでしょうね?

なんだか壮大な話になってしまいましたが、きっとこの話に答えなどありません。こんな長文を記事にしておきながら、私自身もまだまだひとつの結論を導き出せずにいます。これを読んだ皆さんがどう感じられるか、ぜひコメントいただければ幸いです。

では、また。

ADHDが子どもを産んだらどうなるんだろう?

1ヶ月ぶりの更新です。ほりこです。この仕事をしていると1ヶ月が気付いたら過ぎてたなんてことは当たり前なんですけど、「最近ブログ書いてないなぁ」と思ったら1ヶ月経ってて本当びっくりしました…。気付けばもう10月終わるし…時間が過ぎるのが早すぎます...。

さて、今日は趣味垢の方でたまたま発見した連載コラムを読んで、そこから感じたことを書いていきたいと思います。女性の方は必見ですよ。

今回、ご紹介するのはこちらのコラムです。Wotopi「産むことにメリットって、本当にあるんですか?」https://wotopi.jp/archives/cat_summary/umidoki

非常にセンシティブな話題について、愚直に突っ込んで書かれている連載でした。筆者の文章が非常に生々しくて鋭く、とても興味深い内容でした。うっかり2駅乗り過ごして遅刻してしまうくらいには過集中を発揮し、夢中になって読んでいました。

連載の具体的な内容や趣旨は、こちらのURLからご自身でご確認いただくとして、ADHDの私がとても引っかかった内容が、連載 第12回の「空気に流されて、うっかり産むな。トコトン戦略的に産んだ方がいい理由」https://wotopi.jp/archives/53647 でした。

どうやら女性の身体というのは、妊娠期間〜産後しばらくの間、ストラテラコンサータを飲んでいない時のADHDのような状態に陥るようなのです。

筆者である鈴木氏は、このコラムを拝見している限り、おそらく発達障害ではないことが窺えます。とてもわかりやすく知的な文章を書かれる方ですから、おそらくワーキングママとしても非常に優れた方なんだと思います。そんな彼女は、妊娠期間〜産後半年の間の異変について、こう仰っているのです。

 

・酒が飲めない。
(ま、これが最大の不自由でしょう)
レッドブルが飲めない。
(あれ、カフェイン入ってます)
・頭の回転が鈍くなりすぎて、麻雀ができない。
(できなくはないと思うけど、今よりさらに負ける回数は増えます)
・集中力がなさすぎて契約書が読めない。
・論理的構成力が低下してプレゼン用のパワポが作れない。
・抽象的思考力も低下してスプレッドシートでミスりまくる。
・眠すぎて企画会議に集中できない。
・誰と誰が仲悪くて……みたいな複雑な人間関係図を管理できなくなる。

と、なります。

要は、知的活動が著しく制限されるんです。仕事にならないんです。個人差はあると思いますが、少なくとも私のまわりのワーママ編集者のあいだでは、次に書くことは、妊娠中のあるあるです。(Wotopi「空気に流されて、うっかり産むな。トコトン戦略的に産んだ方がいい理由」より引用)

 

お酒やレッドブルや麻雀のくだりはさておき、それ以降の記述はADHDの私からすれば「その状態、コンサータ飲んでない時の私やん!」となるわけです。同じADHDの方であれば「それな」となっていらっしゃるのではないでしょうか。その直後、私は気付いたのです。妊娠期間中、なんなら妊娠準備期間からコンサータが飲めなくなるということに。

お恥ずかしながら、私はこのコラムを読んで初めて「妊娠期間中〜産後しばらくの間、女性の身体はADHDのような状態に陥る」ということを知りました。妊娠期間中や産後しばらくは服薬してはいけないということは知っていたけれど、妊娠中は健常者でもADHDのようになるということは考えたこともなかったのです。「コンサータ飲めなくなるのは不安だなぁ」とか「つわりに耐えながら仕事なんてできるのかな?」とかならぼんやり考えたことはありますが、妊娠中の身体の変化に関しては疎く、このコラムを読んだ時「コンサータも飲めないし、つわりにも耐えなきゃいけないのに、妊娠したらさらにADHDみたいな症状出てくるの?!そんなの絶対仕事出来なくない?!」という激しい不安に襲われました。

私のブログを読んでくださっている方はご存知かと思いますが、私はADHDだからといってキャリアを積むことや結婚や出産、育児を諦めるつもりはありません。どんなに叩きのめされても、ひと通り落ち込んだらまた立ち上がって1ミリでも這い進みたい諦めが悪いタイプです。仕事も結婚も妊娠も出産も育児も、全部諦めなくていいように、自分らしく何にも諦めない人生を送れるように頑張ろうと日々マイペースにやっております。

そもそも、仕事柄、妊娠初期の不安定な時期に夜遅くまで働いたり、力仕事をやったりはできないとも思ってはいるんですが、それ以前の問題として、妊娠すると服薬ができなくなる上に、ホルモンバランスの都合上、さらに判断能力が低下するとなると何もできなくなるんじゃないか?と不安になります。

もちろん妊娠中のことだけではなく、出産後も。自分の管理すら苦手であるADHDの私が会話もままならない新生児を育てることができるんでしょうか?世のパートで働くお母さんやワーキングママは子育てをしながら仕事も頑張っているけれど、私には到底そんなハードなマルチタスクできないと思ってしまうんですよね。

そういう事実がわかりきっているからか「発達障害者は結婚して子どもを持つべきではない」とも言われますが、それは障害者に対する人権侵害でしかないと思うし、もっと言えば「障害がある人を排除しなきゃ子育てできない社会ってどうなのよ?」という話だと思います。それくらい健常者の人にとっても子育てが難しい社会だと思うし、健常者に難しいなら障害者にはもっと難しい社会だと思うのです。

ここからは私事ばかりになりますが、私は来年の秋くらいに現在お付き合いしている彼と結婚しようと考えています。結婚式などはもっと先になりそうですが、同棲し婚姻届を出すのは来年の予定です。自分自身の結婚を目前にして、結婚後は仕事をどうしようか、将来子どもを授かったらどうしようか、など将来についてより現実的に考える時間が増えました。その中で、やはり、毎度毎度ADHDであることが私にとって一つの負荷であることは間違いありません。みんなそうでしょうけど、「どうすればもっと上手くやれるだろう?」「ADHDだからといって今のままではダメだ、もっとやり方があるはずだ」と毎日そんなことを考えています。

「自立はしたいけど、何事も自分の力だけでやっていけるほどのキャパシティはない」「他人様の優しさに甘えて、世間様の白い目に耐えながら生きていくしかない」「障害者にとって生きづらい世の中だからこそ無理は禁物」頭の中でずっとこんなことが渦巻いていて、前に進めなくなってきている自分がいます。この歳になって初めて、発達障害を抱え、女性としてキャリアを積み、プライベートを充実させることが如何に難しい社会なのかということ、そしてこんなに生きづらい環境にあっても自分の人生には言い訳ができないのだということを目の当たりにして、最近は少し前に進みづらくなりました。

今後、もっと障害者にとって優しい社会になりますように。女性がもっと我慢しなくていい社会になりますように。人と違うってだけで生きづらくて、女性というだけでキャリアを断念しなくてもよくて、頑張りすぎなくてもやっていける社会になりますように。そう願うばかりです。

長くなりましたが、今日はこれにて失礼致します。

すべてにおいて、歩み寄りが大事

こんにちは、ほりこです!お久しぶりです!更新が約20日ほど空いてしまいました…Twitterにはいたんですけどね...

さて、今回は、誰かのTwitterを見て考えたことではなく、最近私が悩み、感じていること、きっと全人類レベルでみんなが思っているであろうことを書いていきたいと思います。

タイトルにもある「歩み寄り」は、きっと地球規模で永遠の課題なんじゃないかと思います。

今回なんでこんな話するかというと、最近私は自分の障害について「人の理解や助けが必要になるのが障害なのに、障害者である当事者ばかりが努力している状況っておかしくない?」と冷静に思っているからです。そして、この状況を打破するには、「双方の歩み寄り」が必須となります。

きっと発達障害の当事者であれば、絶対に一度は同じ疑問を持ったことがあると思います。でも、そんな疑問を持ったところで、あるいは声高に疑問を呈したところで、社会が障害者にとってやさしく変わってくれるというわけではありませんから、「結局、いくら正論を言っても、現状は変わらないのだから自分をより良くする努力を続けるしかない」という結論に至り、今もなおしんどい思いと違和感を抱えながら努力を続ける…。きっとそういう人めちゃくちゃ多いと思います。

声を上げ、理解を求めるたびに「甘えだ」と言われたり、「いつでも頼ってね」と理解を示すフリをするくせに助けを求めると「それはあなたがもう少し努力して」と言われたり...

発達障害に限らず、目に見えない障害や病気をお持ちの方は、きっと何度もこういうことを言われてきただろうし、そのたびに悔しくて悲しい気持ちになってきたと思うんです。

私は今まで「いくら『本来こうあるべきなんだ!』と声をあげたところで現状はそう簡単には変わらないんだから、自分の甘えをできるだけ許さず実直に自分をレベルアップさせられれば、少しは当事者でない人も理解してくれるんじゃないか?」と思っていました。

ですが、それは自戒であるとともに諦めでもあり、自分たちをもっとも苦しめている「偏見」を打破するものではないんですよね。

「自分を変えるのは簡単だけど、他人様を変えるのなんて高慢だし、とても難しい。だから自分が変わろう。」というのが、大学生以来、私の軸となる考え方なのですが、この歳になってようやく「自分だけが頑張っても意味ないんだ。理解してほしい人にも一緒に頑張ってもらわなきゃいけないんだな」と気付くことができました。そしてそのためには強固な信頼関係が必要だということも。

この信頼関係は発達障害者にとってはやっかいなんですが、結局のところ「相手のことをよく知ろう」とする気持ちがあるかどうかだと思います。それは被害妄想のような主観的なものではなく、もっと冷静で客観的なものです。

相手のことを知ろうとせず自分の都合だけ考えていると、相手もこちらの都合は聞いてくれなくなりますが、相手のことをよく観察し、相手が今どういう状況にあるか、相手の状況を鑑みて自分はどう立ち回るべきかなど日々冷静に考えるようにしていれば、いずれ「こいつ使いやすいやつだな」と思われるようになります。そうすると頼られるようになるし、徐々に信頼関係が築かれていきます。

私は、こういう手間を面倒くさがらずにやった上でなお、苦労しているのであれば「私はこれだけ頑張っている。ただ、私ひとりで頑張っても補いきれないことも沢山ある。だからあなたにも歩み寄ってほしい」と協力を求めてもいいんじゃないかと思います。よく「他人様の言動や性質を変えようなんて高慢だ」と言いますが、自分自身が最大限努力した上で協力を求めるのであれば、それは決して高慢なことではないと思います。

まだ「こちらが自分をよりよくする努力をしていない以上は、相手に努力を強いたり、協力を求めたりすべきではない」という考えからは抜け切れませんが、自分にもう少し寛容になり、周囲に「もう少し歩み寄ってもらえませんか?」と言える勇気も持ちたいものですね。

謙虚に、そして毅然とした態度で、これからも頑張りたいと思います。

イベント屋が考える発達障害PRイベント②

みなさんこんにちは!ほりこです。

先日更新した「イベント屋が考える発達障害PRイベント」の第二弾、イベントの内容について考えていこうと思います!よろしければ最後までお付き合いください🙇🏻‍♀️

前回、コアターゲットが「発達障害に興味のない社会人」であったことから開催場所はオープンスペースが適していると言いました。そこからもう一歩踏み込むと「ビジネス街のある主要な駅周辺」が今回の会場に最適だと思います。

では、ビジネス街のある主要駅の様子を少し想像してみてください。通勤や退勤のことが頭にあるので、時間や気持ちに余裕がなさそうな人、多くないですか?私だったらそういう時、ステージイベントやブースでのPRイベントってスルーしちゃうんですよね...(笑)でもティッシュとか、今の季節だったらうちわとか、そういう物配ってたらもらっちゃいます!(笑)もらうだけで時間もそんなかからないし。

そう、ビジネスマンって忙しいんですよね。そういう意味でもサンプリングが一番いいんじゃないかと思います。

でも、いくらティッシュに広告を入れたって使い終わったら捨てられることがほとんど。一番見てほしい広告はあまり注目されません。ですから、捨てられにくいものを配るのがいいと思います。

たとえば、手書きのメッセージとイラスト。手書きってなんとなく捨てにくいのです。もちろんデザインデータを入稿して印刷する方がよりプロっぽいのですが、その分捨てられがちです。でも手書きでメッセージが書かれていたら(しかも直筆だったら)、ちょっと情が届きます。ただしめちゃくちゃ手間がかかるので、時    間の余裕と手間への覚悟が必要です。

デジタルの場合でも人の心を打つPRはできます。ここ最近、ダヴやskⅡなどドキュメンタリーCMが流行っています。誰もが一度は感じたことがある悩みと、その悩みを少し和らげるきっかけをCMが提供するというものです。シンプルだけど生々しいし、「自分ごと」として受け止めやすく、共感してくれる人も多いから拡散されやすい。もちろんすべての人が賛同してくれるわけではないですが、普通の広告よりも印象に残りやすいと思います。

これはあくまで一案ですが「100人の発達障害者、100人の定型発達者(仮題)」と銘打ってポケットティッシュ広告にそれぞれの声を載せる。互いに問いかけ合い、その問いかけに答え合うのもいいかもしれませんね。定型発達者100人、発達障害者100人の協力者が必要ですが、タグを上手く利用し拡散すれば集いやすい人数かと思います。

 

最後に。私が思うPRの大前提について。

私は「PRも会話のひとつ」だと思っています。PRしたい側が一方的に発信してるように見えるけど、必ず受手がいます。ターゲットを絞っているなら、そのターゲットが何を感じているのか、何を思っているのか、まずは知らなければ始まりません。Twitterでは何度も言っていることですが「主催者がやりたいことをやる会は、ただのオフ会」です。PRイベントではありません。

PRする先には必ず相手がいます。そして、その相手に何らかのリアクションをしてほしいからPRするんです。だからこそ、相手に自分の価値観を押し付けるようなやり方は絶対にしてはいけないし、したとしても効果が得にくいかと思います。

発達障害への誤解や偏見と向き合う活動や、発達障害者がよりすごしやすくなるための団体がどんどん活発になっているからこそ、「自分たちの活動の先には相手がいる」「相手を知って初めて本来の活動ができる」ということを再確認した方がいいのかもしれませんね。

 

更新遅くなりましたが、イベント屋が考える発達障害PRイベント、これにて完結でございます!今後、イベントをしたいと考えられている方の参考になれば幸いです。

それでは今日はこれにて!また更新します!

イベント屋が考える発達障害PRイベント①

みなさんこんばんは!先日「大学生の中間レポートやん」くらいの字数のブログを書いたほりこです。

さーて、をこさんという方が、とっても素敵なイベントを考えておられるので、今回はそれをご紹介しつつ、私も発達障害のPRイベントを企画立案してみようと思います!本業ですので頑張りたいと思います(笑)

まず、をこさんのイベントについてご紹介しようと思います。

ところで発達障害に関心がないひとに発達障害を発信するのってどうすればいいのかな?

やっぱ発達さんも健常さんも参加できるデザインワークショップ開くしかない?修行します👌😭👌😭https://twitter.com/sakashira9/status/1022479492751577088?s=21

ADHD×イベント屋な私、黙ってられませんでした(笑)こういう時、すぐ首突っ込んじゃう...

この後、私もリプでをこさんにお伝えしているのですが、いわゆる「コアターゲット」といわれる人をより明確にすることが最も重要なポイントだと思います。さらに踏み込んだ結果を求めるなら、最終目的を設定するのも重要となってきます。

今回は「発達障害に関心がない人に対して(=メインターゲット)もっと発達障害について知ってほしい」というのがミッションです。で、このミッションを振られた時、企画を考えるにあたって浮かぶ疑問が2つあります。

まずひとつが「発達障害について知ってもらいたいのはなぜ?知ってもらった後、どういう結果になってほしいの?」というものです。

私の場合は「何か困ったことがあったら助けてくれる存在がもっと増えてほしい(特に職場)。生きづらさをちょっとでも軽減したい。理解してもらえなくていいから知っててほしい」とか思うんですけどね(めんどくさい)。これが真の目的ですね。なので、ここから「メインターゲットは社会人」「発達障害に関心がない社会人(就労者)が発達障害について知り、発達障害を抱える人がどのようなことで困っているのかが伝わる内容」というのが定まってきます。

ふたつめの疑問は「社会人って言ったっていろいるけど、具体的にどういう人にアプローチしたいの?」というものです。

例えば、「仕事を時間内に終わらせるのが難しい」という悩みを抱えていた場合、担当する仕事量や進捗を管理する上司(中間管理職)に助けてほしいのか、上司よりも気兼ねなく頼りやすい同期や先輩後輩に助けてほしいのか、どちらでしょうか?もちろんどっちにも助けてほしいところですが、私は「まずは管理職に理解してほしい」と思っていますので、「中間管理職で発達障害に関心がない人」がコアターゲットとなります。

まとめると、①今回の目的は「発達障害に関心がない社会人(特に中間管理職)に対してアプローチし、障害や当事者の困り事について知ってもらい、当事者を支えてくれる存在を増やす」こと、②コアターゲットである「中間管理職」の世代が受け入れやすい実施内容であること。というのがこのイベントの大きな柱になります。もう少し欲張るならより多くの人に知ってもらうため、話題性のある内容にすること、などでしょうか。

では、この3つを叶えるにはどうすればいいか考えていきましょう。

まずは会場です。だいたいの場合、イベントの中身を考える前に会場を決めていきます。というのも、会場の立地、広さや設備などによってできること、できないことが大きく変わってくるからです。

例えば、主要駅構内のイベントスペースやショッピングモール内のイベントスペース(オープンスペース)であれば、不特定多数の人にアプローチできるため、サンプリングには最適な場所です。実際よく駅構内や周辺でティッシュとか配ってますよね。

一方で、人通りが多いため導線の確保に対して非常に厳しく、人が滞留し、導線を塞ぐおそれのあるステージイベント、場合によっては拡声器の使用はNGとなることが多いです。他にも大通りでサンプリングを行なう場合、道路使用許可が必要など、規制が多く、手続や審査が必要となります。

そして、最近よく見られるレンタルスペース(クローズド)を利用した屋内でのイベントの場合。発達界隈でよく見るイベントなんかもそうですが、個人が主催するイベントではレンタルスペースを借りて実施されることが多いかと思います。クローズドの最大の特徴は「興味がある人が集まる(興味がない人へのアプローチが難しい)」ということだと思います。

クローズドの場合、先ほどのオープンスペースのように導線を気にする必要はあまりないので規制や煩雑な手続きも少なく、レンタル料さえ支払えばあとは自由にできることが多いように思います。ただし、スペースの設備はピンキリで、スピーカーやプロジェクターのような基本的な設備がついていないところもあります。また、設備はあるけど利用するにはオプション料を払わなければいけないところも多いです。

少々話が横道にそれてしまいましたが、今回は「興味がない人」に向けて発信したいのでオープンスペースが適しているかと思います。もし会議室などのレンタルスペースでイベントを実施する場合は、イベントに誘引するための別の手段が必要となってきます。

 

またまた長くなってきましたので、今回はここで区切らせていただきます。次回、具体的な企画内容を更新していこうと思いますのでお楽しみに!

それでは失礼します☺️

大事なのは「驕らない」ということ

こんにちは、ほりこです。

先日、私は以下のようなツイートをしました。

 

ADHDの遅刻癖、アドバイスされたことはすでに全部やってるのよ。それでもダメ。コンサータ飲んでてもダメなの。そろそろ「遅刻はダメ」っていうのをADHDに適用しないでほしい。私だって遅刻しない自分になりたい。毎朝「今日は遅刻しないように」って必死に自分と闘ってんの。#ADHDあるある https://twitter.com/wxwe8ecekrfn0fd/status/1020277850270650368?s=21

 

このツイート、私の経験ではこれまでの中で一番拡散されています。

そして、このツイートに同じADHDの人、ADHDだけど私とは症状のタイプが違う人、ADHDではないけど遅刻癖に苦しんだことがある人、アドバイスではないけど一緒に考えたり悩んだり怒ったりしてくれる人、心理カウンセラーの人、ADHDについて知らない人...本当にたくさんの方からリプをいただきました。

おかげさまで、私は今、遅刻癖がだいぶ改善されています。見ず知らずのはずの人がこんなにも一緒になって改善方法を考えてくださったことや、いただいたアドバイスを実際に実行してみて遅刻せずに済んだことがとても大きく、私のモチベーションにもなっております。本当にありがとうございます。

そして、今回の件を経て、ひとつ私の中で大きな気付きがありました。ざっくり一言で言うとタイトルの通り「驕らない」ということの大事さに気付いたのです。

私のTwitterアカウントには約180名強のフォロワーさんがいます。私の場合は特にフォロワーさんに向けて有益な情報を発信しよう!と思っているわけではなく、あくまで自分が考えたこととか、感じたことをアウトプットするためにやってるのですが、それでも見てくれている人がいるので、一応私も発信者だと自覚はしております。今からするお話は「SNSでの発信者の自覚」と「驕りの原因」についての内容となります。

SNSにありがちなことですが、特定のジャンルの中の「有名人」とか「インフルエンサー」っていますよね。「発達障害」のジャンルも例に漏れず、「発達障害といえばこのアカウント」みたいな有名人の方が何人かいらっしゃると思います。そういう方にはたくさんのフォロワーさんがいるので情報も拡散されやすいかと思います。ましてや、発達障害のジャンルについては、発信したい人が多いような印象ありますし(私もその1人ですが)、各々「自分は発信者である」というふうに思っている部分があると思うんですよね。

少しずつフォロワーさんが増えていき、自分の発信したことがより多くの人に伝わったり、影響を与えられるようになるというのは、純粋に嬉しいことなんですよね。自分の考えに共感してもらえたり、自分が発信した情報が誰かの役に立ったというのは自信にも繋がります。徐々に「私は発信者なんだ」という自覚が強くなってくると思います。そして周りも「あなたは発信者だ」と感じるになり、インフルエンサーとそのフォロワーとしての関係が生まれると思います。

「驕り」が出てくるのはそこからだと思います。「自分は発信者でフォロワーが多い」だとか「このジャンルにおいて有名人だ」という自覚が生まれると、自分が特別な存在であるかのように錯覚したり、あくまでネットで得た情報や書店で買った本の中の知識しかないのに、有識者であるかのように立ち居振舞ってしまったりします。もちろん、そのジャンルについて無知な人と比べたら「有識者」なのかもしれません。ですが、学者や研究者など、その道の専門家でもない限り、「素人で、そのジャンルについて一般的な知識を持っている人」にすぎません。たとえ自分が当事者であったとしても「専門家でない存在」には変わりありません。

私はよくTwitterで法律や人権問題についてつぶやきますが、私が持っている法律の知識は大学4年間で専門家から学んだ「一般知識+α」くらいのものです。まったくの無知な人よりは知識を持っていますし、法的事案を理解するのも勉強したことがない人と比べるとスムーズですが、「この判例があるからこういうケースはこう対処できる」みたいなことはわからないんですね。ですが、イベントことについては(まだまだ見習いレベルではありますが)一応仕事としてやっているので「こういう場合はこう対処ができるし、あんな対処もできるよ」と言えるし、「素人でイベントの知識がある人」ではないんです。

自分が「プロ」「本職」と呼べる領域については堂々としてたらいいんです。でも自分がプロではない場合は、たとえ他の人より知識があったとしても驕るべきではないと思います。驕らず、自分を俯瞰で捉え、素直に学んだり、他人様の意見や考え方を受け止めたり、周囲に相談したりして人と関わり合っていくのが目指すべき姿だと思います。私は今回の件でそれを深く自覚しました。そしてこの「驕らない」という姿勢が自分をより快適にしてくれるのだと改めて感じています。

よく「発達障害者が社会に適応するには定型発達者に合わせ続けるしかない」だとか「無理して社会に適応しようとするのではなく、自分のペースでやればいい」とか、「福祉に頼って生活すればいい」「福祉がもっと手厚くなれば」とか、発達障害の当事者が発言しています。たしかにこの意見もその通りなんです。ですが、個人の態度を変えるだけで簡単に生きやすくなる部分も大いにあると私は思います。

 

発達障害は本当に理解されにくい障害です。当事者にならなければわからないことがものすごく多いです。でも、あなたが驕らず、卑屈にならず、素直で正しい行いをしていれば、あなたのことを心配したり、助けようとしてくれる人は絶対にいます。話を聞いたり、知識を得るだけではわからないことだらけなはずなのに、少しでも理解しようとしたり、理解はできなくても寄り添おうとしてくれる人は本当にたくさんいます。そういう人の親切心や善意をありがたく思い、感謝の気持ちを持って接し、素直に困っていることを説明してみてください。絶対に助けてくれる人がどんどん増えてくると思います。

ときには、こちらが真摯に向き合っても理解してもらえないこともあるかもしれません。悲しいけど、それは自然なことだと思うんです。発達障害は目に見えない障害ですし、相手の方に障害があろうと無かろうと、自分とは違う環境で育ち、違う価値観を持っているというだけのことです。その人たちにそれ以上理解を迫る必要はありません。そういう場合は、伝える側にとっても受け取る側にとっても「理解できない」という場合は、「無理に理解してもらう必要もないし、理解する必要もない」その距離感がベストだというだけなんです。

 

私は発達障害有識者でもなければ、法律の専門家でもありません。いくらTwitterやブログで自論をこねても社会を変えるなんてことはできません。ですが、自分をより良く変えることはできます。そして自分が変われば周りの反応も変わります。もしかしたら、それが伝播していくこともあるかもしれません。

社会により良くなってほしい・環境を改善してほしいと思うなら、まずは自分を良くしていきましょう。そしたら何か変わります。もちろん自分が変わったくらいでは態度を変えない相手もいます。でもそれはその人がそういう人だっただけで、世の中の人みんながみんなそうじゃないです。

自分を正して、まっすぐ向き合う。

私はこれから、そうやって変わっていこうと思います。

長文、乱文となりましたが、ご覧いただき、ありがとうございました。