二度目の対人トラブル。人間関係は変わっていくのだと気付かされた話。

下書きだけが溜まっていき、全然更新していなかったほりこです。毎年言っているような気もしますが全然更新できていないまま時間だけが過ぎていくばかり…読者が少ないとはわかっているものの、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいです…来年は絶対にもっと更新するんだ…

さて、今年はコロナウイルスに悩まされて過ごす日々でしたが、皆さんは何をしていましたか?私は流行にのってどうぶつの森を楽しんでいました。最近全然ゲームも開かなくなってきたけれど、つい先月まで結構しっかりハマってました。

それから、友人の結婚祝いを機にピアノを始めました。小学生の頃、5年ほど習っていましたが、決して上手だったわけではなく練習も全然しない子だったのでかろうじて楽譜が読める程度で初心者です。昔は大嫌いだったピアノの練習も、友人の結婚祝いのためならと夏頃は毎日ピアノを弾いていましたし、毎日やれば初心者でもそれなりには弾けるようになるものですね。

前置きはさておき、本題です。先ほどお話しした結婚祝いのピアノの件ですが、実は一緒に合奏する予定だった友人たちと揉めまして、結局お披露目することはなくなりました。そういえば前回の記事も人間関係の悩みについて書いた気がしますが、その子を含む高校時代のグループの子たちと揉めたのです。正直、この歳にもなってこんなくだらないことで揉めるとは思ってもみませんでした。

今回の記事では揉めるまでの経緯とその後、現在の私の人間関係に対する価値観についてまとめていきたいと思い生ます。

詳細はこの後書きますが、きっとすごく長くなるので結論だけ先に言っておきますね。わたしは「ありがとう」と「ごめんね」が言えない人とは仲良くできないし、一度起きたことを水に流すほど心も広くないと今回の一件で気づかされました…(そもそもそんなに怒ることもないけれど)

夫にも何度も愚痴を聞いてもらいましたが、夫曰く「トラブルが起きた時にこそ人間の品性ってわかるよね」と。その通りだと思います。他者を尊重したり、感謝を示せるか否かというのは、その人の人間性が表れます。彼女たちがこれまでどんな環境で育ってきたかは詳細には知らないけれど、わたしが知っている一部分にはその人の品性が滲み出ていると思うのです。一般的にはそれを「育ちが出る」、悪い意味合いでは「お里が知れる」とも言いますね。

当たり前ですが、みんな育ってきた環境が違うから価値観は違って当然です。とはいえ、違うもの同士が己の意見を主張し合うのでは人間関係は円滑にはいきません。仲良く付き合っていくにはどこかで折り合いをつけたり、相手を尊重したり、礼儀を尽くすことが必要だと私は思います。

 

では、結論も先に話したところで、詳細に参りましょう。

経緯を詳しく説明する前に、私たちのグループのメンバーを簡単に説明しておきますね。

T=今回の新婦。大人しく真面目。Nの結婚式に呼ばれなかった。

N=前回の新婦。派手で目立つ子。今回の企画者。

A=真面目なしっかり者。仲介役に回ることが多い。

S=天然箱入り娘。前回の記事で私の悩みのタネとなっていた子。

K=落ち着いている子。Nの結婚式に呼ばれていない。

R=華やかな子。現在はタイ在住。Nの結婚式には不参加。

私=Nの結婚祝いの企画者。性格はご存知の通り。

人数も少し多く個性はバラバラで、中にはなぜ一緒にいるのか不思議な関係性の子もいますが、高校を卒業してからも何かのタイミングで集まったり連絡を取り続け、かれこれ10年の付き合いになる仲でした。では本編へ。

 

  • 起:結婚祝いとしてリモート合奏をしよう

昨年末、めでたくプロポーズされたTが今年春に結婚し、つい先日結婚式を挙げることになったのです。高校の友人である私たちはTの結婚式に招かれることになりました。しかし、コロナ禍での結婚式で余興などはできません。そこで私たちは余興とは別で手作りの動画をサプライズで結婚祝いとして贈ることにしたのです。

というのも、実は同じグループのNが結婚したときも手作りの動画をプレゼントしたのでした。その時は動画編集が趣味である私が企画し、仕切って進めていました。一緒にやる友人たちにあまり負担がかかりすぎると協力してもらえなくなるため、あまり負担をかけないように「みんなでご飯に行って思い出話でもしよう」という程度で、あとは編集でバラエティ番組風に仕立てました。(ちなみにちょうどその頃私は休職中で時間だけはたっぷりありました)

その動画が嬉しかったのか、今度はNが「Tの結婚祝いとして動画を作ろう」と言い始めました。AとNと私は頻繁に連絡を取り合う中で、まずはこの3人で動画の内容について話し合いました。その結果、高校時代の選択科目でNとS、Rと私が同じ授業を取っており最終試験で演奏した西野カナさんのBest Friendを合奏することになりました。

  • 承:準備が難航…楽器の準備や演奏の練習が進まず。

合奏となると楽器の用意も必要なので、Nの時に作った動画よりも手間も時間もお金もかかるのですが、Nは『楽器は自分で買って用意するし、練習すればできる!』というので私も反対はしませんでした。分担としては、私とNとAが楽器を演奏し、タイ在住のAとSは歌を歌い、Kが歌詞を書くことになっていました。また私は楽器の他に動画編集も担当することになっていました。

しかしNとAがなかなか楽器を購入せず、アプリを使って演奏すると言い始めたり、KやRがなかなか練習に参加しなかったりと準備は難航…また私はTの結婚祝いの準備を進める裏で自分の結婚式の準備にも忙しくしていました。また担当する楽器がピアノであることに加え、難易度高めな動画編集をしなければいけない状態でした。

  • 転:事件勃発。Nのワガママに私がブチギレ。

そんな中、なんとか形にしようと毎日ピアノの練習を続けていたところAから「原曲のテンポが速いのでもう少しゆっくりにしてほしい」との相談がありました。わたしもピアノ初心者なのでスラスラとは弾けません。また元々練習時間も限られていたので、下手くそな演奏になってしまっても大丈夫なようにスローテンポなバックミュージックを用意しておいたのでした。

事前に用意しておいたバックミュージックのテンポに合わせて練習することを提案すると、Nから「弾きにくい。ピアノのテンポに合わせたい」と言われました。音楽をされている方であればおわかりいただけるかと思いますが、テンポを合わせられる側の楽器はリズムを崩すことはできません。

その当時私はようやく指が慣れてきたものの、まだスラスラとリズムを崩さず弾ける状態ではありませんでした。またピアノがベースになるということは私の練習期間も短くなるということ。すでに二つの重めな役割を担っている中で、そんな無茶ぶり…しかし音楽の編集は私にはできません。Aに間に入ってもらい、何とかゆっくりテンポのバックミュージックに合わせて弾いてもらうことになりました。

しかし、またもや問題が。動画編集の都合上、出来るだけ元データを圧縮して欲しくなかった私は、動画提出用のアプリを指定していました。しかし、そのアプリを使用するにはメールアドレスの登録が必要だったのです。登録自体は1分程度で完了しますが、それを面倒くさがったNが「簡単だしLINEで動画を送ればいいじゃないか」と言い始めたのです。

結婚祝いとして贈る動画だから手間ひまかけて丁寧に作りたかった私と、面倒なことが嫌なNとでは、どこまでも意見が合いませんでした。その結果、これまで負荷がかかりすぎていたこともあり私が大爆発してしまいました。

  • 結:この一件でNとAとはほぼ絶縁状態に。

後ほど、Kから聞いた話では、仲裁役をしていたAは「私にはもうどうしようもない」と言い、Nは「どうやら私のせいらしい」と私の真意をあまり理解していなかったようでした。またその他のSやRは私が抜けた後のグループLINEで「任せっきりでごめん」と謝りあいになっていたようで、私を心配して連絡をくれたのはKだけでした。その後、NやAからの謝罪や、SやRからの連絡は特になく、そのままTの結婚式当日を迎えました。

今思えば、私も少し妥協してLINEでの動画提出をOKすれば良かったのかもしれませんが、ピアノの練習といつもより難易度の高い動画編集に追われ、心の余裕はありませんでした。また、これは私の性格ですが「せっかく人に贈るなら一生懸命作りたい」という気持ちが強かったのです。また人に結婚祝いとして贈るものなのに、低レベルなものを渡したくないというプライドもありました。結局サプライズは無しになり、動画もお蔵入りになりました。

でも他の子はそうではなかったのでしょう。準備段階から温度差は感じていましたが、何でも「適度でいい」と思っているNのような子とは相入れないだけの話です。また自分から企画しておいて「仕事じゃないから」と一生懸命やろうとしないNや、タイと日本で時差があるとはいえ練習にこないRも私には無責任に思えました。

私が頑固すぎる部分もあったのかもしれませんが、この一件を機に、私の彼女たちに対する見方は変わりました。いわゆるアラサーと呼ばれる年代にも差し掛かり、こんなくだらない喧嘩をするとは思ってもみなかったけど、人間関係について見つめ直すいい機会にはなりました。

社会人になり、高校生の頃ほど私たちは「同じ」ではなくなりました。職種も住んでいるところも職場環境もそれぞれ違うなかで仲良くやっていくには他人を尊重することが何よりも大事です。私もNを尊重しきれなかったし、Nもわたしの真意を最後まで理解しなかったと思います。でもきっとそれが私たちの限界点で、それ以上お互い譲る気もなかったということなのです。

  • 結論:人間関係は今後も変わっていく。その時大事にしたいものを守っていけばいい。

10年以来の友人たちと仲間割れしたことを、最初私は認めたくありませんでした。これまで育んできたものが嘘だったような気がしてしまうからです。それを受け入れられずに何とか歩み寄ろうとしたり、Tの結婚式の前の週末にAとSと3人でご飯に行ったりもしました。でも何も変わらなかったし、むしろ溝が深まっただけのような気もしました。

今後、私たちはそれぞれ結婚したり、子どもが産まれたりしてさらに境遇は変わっていくでしょう。先日、私よりひと回りほど年上の同僚に聞いてみたところ、学生時代の友人に「あれ、この子こんな子だったっけ?」と違和感を感じることはよくあることなのだそうです。

時間とともに私たちは嫌でも変化していきます。変化すると以前までは気にならなかったことが急に気になり始めたりするのです。たとえば、私の場合はこの揉め事が起こる1年前から、会うたびに同じような話しかしないことにも飽きてきていました。きっとそれは私の関心ごとが恋愛や結婚、高校時代の思い出話ではなくなったからでしょう。彼女たちだけではなく私も変わったのだと思います。

でもそれは仕方のないことだし、今ブログを書きながらようやく諦めることができるようになりました。執着していた何かを手放せたことにより、少し身軽になって余裕もできました。今は自分の挙式やキャリアアップのための勉強にエネルギーを費やしています。

今回、彼女たちとの距離を置いたことで高校時代の幼さからようやく卒業できたような気がします。便宜上、私の結婚式に彼女たちも呼びはしますが、今後それ以外の用事でプライベートをともにすることはしばらくはないと思います。

少し寂しいような気もするけれど、自分の大事にしたいものを胸に今後も一生懸命やっていきたいと思います。

それでは、また。