すべてにおいて、歩み寄りが大事

こんにちは、ほりこです!お久しぶりです!更新が約20日ほど空いてしまいました…Twitterにはいたんですけどね...

さて、今回は、誰かのTwitterを見て考えたことではなく、最近私が悩み、感じていること、きっと全人類レベルでみんなが思っているであろうことを書いていきたいと思います。

タイトルにもある「歩み寄り」は、きっと地球規模で永遠の課題なんじゃないかと思います。

今回なんでこんな話するかというと、最近私は自分の障害について「人の理解や助けが必要になるのが障害なのに、障害者である当事者ばかりが努力している状況っておかしくない?」と冷静に思っているからです。そして、この状況を打破するには、「双方の歩み寄り」が必須となります。

きっと発達障害の当事者であれば、絶対に一度は同じ疑問を持ったことがあると思います。でも、そんな疑問を持ったところで、あるいは声高に疑問を呈したところで、社会が障害者にとってやさしく変わってくれるというわけではありませんから、「結局、いくら正論を言っても、現状は変わらないのだから自分をより良くする努力を続けるしかない」という結論に至り、今もなおしんどい思いと違和感を抱えながら努力を続ける…。きっとそういう人めちゃくちゃ多いと思います。

声を上げ、理解を求めるたびに「甘えだ」と言われたり、「いつでも頼ってね」と理解を示すフリをするくせに助けを求めると「それはあなたがもう少し努力して」と言われたり...

発達障害に限らず、目に見えない障害や病気をお持ちの方は、きっと何度もこういうことを言われてきただろうし、そのたびに悔しくて悲しい気持ちになってきたと思うんです。

私は今まで「いくら『本来こうあるべきなんだ!』と声をあげたところで現状はそう簡単には変わらないんだから、自分の甘えをできるだけ許さず実直に自分をレベルアップさせられれば、少しは当事者でない人も理解してくれるんじゃないか?」と思っていました。

ですが、それは自戒であるとともに諦めでもあり、自分たちをもっとも苦しめている「偏見」を打破するものではないんですよね。

「自分を変えるのは簡単だけど、他人様を変えるのなんて高慢だし、とても難しい。だから自分が変わろう。」というのが、大学生以来、私の軸となる考え方なのですが、この歳になってようやく「自分だけが頑張っても意味ないんだ。理解してほしい人にも一緒に頑張ってもらわなきゃいけないんだな」と気付くことができました。そしてそのためには強固な信頼関係が必要だということも。

この信頼関係は発達障害者にとってはやっかいなんですが、結局のところ「相手のことをよく知ろう」とする気持ちがあるかどうかだと思います。それは被害妄想のような主観的なものではなく、もっと冷静で客観的なものです。

相手のことを知ろうとせず自分の都合だけ考えていると、相手もこちらの都合は聞いてくれなくなりますが、相手のことをよく観察し、相手が今どういう状況にあるか、相手の状況を鑑みて自分はどう立ち回るべきかなど日々冷静に考えるようにしていれば、いずれ「こいつ使いやすいやつだな」と思われるようになります。そうすると頼られるようになるし、徐々に信頼関係が築かれていきます。

私は、こういう手間を面倒くさがらずにやった上でなお、苦労しているのであれば「私はこれだけ頑張っている。ただ、私ひとりで頑張っても補いきれないことも沢山ある。だからあなたにも歩み寄ってほしい」と協力を求めてもいいんじゃないかと思います。よく「他人様の言動や性質を変えようなんて高慢だ」と言いますが、自分自身が最大限努力した上で協力を求めるのであれば、それは決して高慢なことではないと思います。

まだ「こちらが自分をよりよくする努力をしていない以上は、相手に努力を強いたり、協力を求めたりすべきではない」という考えからは抜け切れませんが、自分にもう少し寛容になり、周囲に「もう少し歩み寄ってもらえませんか?」と言える勇気も持ちたいものですね。

謙虚に、そして毅然とした態度で、これからも頑張りたいと思います。