仕事の向き、不向きなんて考えるだけムダです。

こんにちは!お久しぶりでございます。

今回は久々に真面目に発達障害の話をします。最近、愚痴や弱音の記事が続いたので、たまには真面目にね(笑)

 

テーマはタイトルの通り、「発達障害の仕事の向き、不向き」です。

結論から言いますと「発達障害だから向いてる仕事もないし、向いてない仕事もない。」と、私は思っております。

そもそも、仕事の向き、不向きに発達障害の有無は関係ありません。

「いやいや、ADHDだったら不注意があるし、ミス出来ない仕事や集中力のいる仕事は向いてないでしょ。」という声が聞こえてきそうですね(笑)

では、質問ですが、ミスが許される仕事、集中力のいらない仕事って何ですか?

もちろん、そんな仕事は世界中どこを探してもありません。もちろんミスした後の影響や責任の重さは内容によって異なります。でも、それもどんな仕事であっても一緒ですよね。

例えば、最近の話で言えば、教員の判断ミスが原因で、小学生が熱中症で死亡した事件ありますよね。あれって許されていいミスですか?絶対に違いますよね。では、外科医が手術で適切な処置を行えず、手術を受けた患者が亡くなったとします。これは許されていいミスですか?これも違いますよね。

この2つの話、どちらも人が亡くなっているんです。

ADHDだと、よく「ミスが許されない仕事は向かない」と言われます。後者の医療系の仕事なんかはその最たる例ですよね。ですが、教員はどうでしょうか?「ミスが許されない仕事」は、一般的にはあまりイメージがないかと思います。でも、生徒達の命を預かっている仕事ですから、「他人様の命を任される」という意味では、医療系の仕事と同じです。

わかりやすいように医療系と教員を例に挙げましたが、基本的には他のどんな仕事も一緒です。たとえ命を任される仕事でなくても、仕事には必ずお金が発生します。金額に関係なく、仕事というのは頂いたお金に対する責任がつきまとうものです。給料は会社から支払われますが、会社がお金を受け取る相手はお客様です。お客様がいて、お金を頂いて仕事をする以上、それがどんな仕事であっても、基本的にミスは許されていいものではないのです。

でも人間ですから、どうやったってミスはします。発達障害がなくてもミスはします。大事なのはミスをしないよう工夫すること、ミスした後の対応です。「ミスを未然に防ぐ方法や、ミスした後どう挽回するか」という引き出しをより多く作っていくことが大事です。

まとめると、①どんな仕事でも、基本的にミスはしてはいけない。②ミスを未然に防ぐために工夫すること。③ミスした後の挽回方法を備えておくこと。という当たり前すぎる結論になります。

ね、発達障害だからどうとか、仕事の向き不向きなんてあるようでないでしょ?(笑)もし向き不向きがあるとすれば、それはあなたの性格との不一致だと思います。障害云々は関係ないです。

 

では、今日はこのへんで!

ただの愚痴です。

お久しぶりです。ほりこです。

ようやくお仕事が一段落しまして、やりきった感と同時に、悔しい思いいっぱいしてきました。まぁそれは一旦置いといて。

最近、体の疲れや小さな不調をものすごく感じます。やる気も出ません。毎回案件終わりはこうなるので疲れてるだけだと思います。(月経前なのもあるんでしょうが...)

ただでさえADHDは疲れやすいです。私はコンサータを服用しているのですが、コンサータが切れた瞬間、体がどっと重くなるし、1日の疲れを一気に感じてげんなりします。最近は気絶するように寝るので、睡眠もあまりリフレッシュになってないんですよね...

そんな状態になってみて思うのは、「自分のための時間があまりにも少ないなぁ」ということです。

ここ最近ずーっと残業してたのもあって、毎日家に帰ったらメイク落として寝るだけなんですよね。で、朝起きたらシャワーして身支度して向かう先はオフィスです。で、また1日一生懸命働いて...という日々を約2ヶ月半過ごしていました。

1日24時間ありますが、睡眠に7時間、食事に1.5時間、お風呂に30分、通勤が往復2.5時間、出勤の身支度に2時間、残業せずに働いたとして8時間、その中で自分のためだけに使える時間はたったの2.5時間です。100%のうち、たったの10%しか自分のための時間がないんですよね。1日の半分以上は仕事のために活動してるっていう...しかも1ヶ月30日ある中の約22日間も。22日って7割ですよ。1ヶ月の7割を仕事中心で過ごしてると思うと、そしてそれがこの先40年続くと思うと、ゾッとします。

なんかこれって異常だな、と思います。残業せずに働いていたとしても自分のための時間ってこんなにも少ないんですよね。お金をもらっているとはいえ、「何でこんなに自分の時間を売り払って一生懸命働いてるんだろう?」と思います。「こんなに時間を売っているのにもらえるお金はこれだけか?」とも思います。

これはあくまで私の場合ですが、仮に人生を80年と考えて、社会に出るまで22年間は親の管理下で過ごし、43年間働き、余生は15年。しかも43年のうち7割は仕事中心の生活です。

いろいろ考え出すと「なんでこんなに仕事ばっかしなきゃいけねーんだよ!!私は私の時間を行きたいの!」と思ってしまって、今ブログにぶちまけている次第でございます。

毎月半分は一生懸命働いて、半分は自分の時間を過ごす...そんな社会がやってきたらいいのになぁ…

 

以上、仕事に囚われたくないほりこでした。

それではまた次の更新でお会いしましょう。

たまには弱音も吐いてみる。

おはようございます。ほりこです。

実は昨日、仕事でやってはいけないミスをしてしまい、だいぶ落ち込んでいます。しかも、の上司がすごく尊敬できるとても素晴らしい人だから、なおさらです。

なので、今日は珍しく、弱音を吐いてみることにします。

 

発達障害を抱えながら生きていると、必ず「どうして周りの人には当たり前にできることが私にはできないんだろう」という壁にぶつかります。それはもちろん「障害があるから」に他ならないのですが、悲しいことに発達障害の最大の「障害」は「できなければ社会での生活や人間関係を築くのが非常に困難」ということなのです。

障害があろうと無かろうと、生きている以上は生活しなきゃいけないし、ひとりでは生きていけないので人間関係の構築も必須です。発達障害を持っていて最も苦しいのは「障害を言い訳にしたいけど、言い訳すると人間らしい生活が送れない」ということに尽きると思います。

世間の認知度や理解度はともかく、きっと発達障害を持っている人なら誰しも「頑張れど頑張れどできるようにならない自分」に苦しみ、逃げ出したくなったことがあるはずです。結局、苦しむ理由は毎回「頑張ってもできない自分」で、理解のない周囲の嫌味や偏見、悪意のない励ましの言葉ではないんですよね。

だから余計に逃げられないんです。嫌味や偏見からは逃げられるけど、自分の嫌いな「頑張ってもできない自分」からはどう足掻いても逃げられません。

私はADHDの診断も下りているし、薬を服用し始めてもうすぐ3年になりますから、「できないもんは仕方ない」と、ある程度は割り切っています。でも、それでも「頑張ってもできない自分」に嫌気がさすことは本当によくあります。

服薬をしている以上、まったく服薬なしの状態よりはいくらかマシになっているはずなので、「ADHDだからできなかった」という言い訳がしにくくなりますし、私自身も「ADHDでできないのは仕方ないけど、ADHDを言い訳にはしない」と決めているので、次から次へとやってくる困難は乗り越えるしかないんですよね。

発達障害がない人に比べ、発達障害を抱える人はよく失敗します。私も、何度もトライ&エラーを繰り返し、何度も同じことで失敗して、克服できていないことがいっぱいあります。克服できない度に自分の障害を痛感します。逃げたくなります。それでも逃げずにいるのは、そうしないとやっていけないからです。

失敗して傷だらけでも、傷口を手当てしたらまた歩き出しますが、その傷が治らないうちにまた傷を作っています。しかもいろんなところで転ぶから、常に全身傷だらけです。

でも発達障害を抱える以上、それは避けては通れない道ですし、何も私だけじゃないんですね。発達障害の人はきっとみんなそうなんです。

 

これからも私は、全身に傷をつくりながらも歩き続けるのでしょう。でも転んで傷ができないようにずっと同じところに留まっているよりは、傷だらけでも歩き続ける方が私らしい気もします。

 

今日はこの辺で。

素敵な土曜日をお過ごしください。

自分の道くらい自分で切り拓け

お久しぶりです。ほりこです。

まだまだ絶賛繁忙期ですが、今日は思わず「は?」と思うことがたくさんあったので、ここに吐き出していきたいと思います。

まあ、内容はタイトルの通りです(笑)

こう思うきっかけになったのはこのツイート。

 

嫌なら辞めたらいいとか、辛いなら逃げたらいいというのは、その後のことが保障されていて意味があるのであって、それを高みから言うのは「逃げないのは自己責任」という理屈を生みかねない。https://twitter.com/nyovh7fiap/status/1003776581154701312?s=21

 

ツイ主には失礼ですが、わりと真剣に「は?」と思いました。「学生や未成年で社会に出てないならまだしも、なに甘えたこと言ってるんだ?」と。

以下は私の自論です。今日はちょっと半ギレなのでいつも以上に言葉がキツいので、精神的に弱ってる方は回れ右してください。(まぁ、もうここまでの時点ですでにキツいけど...) ここから先をご覧いただく方も閲覧注意です。ここから先を読むか読まないかはご自身でご判断ください。

 

結論から言いますと、「辞めた後のことくらい自分でどうにかしやがれ!!」なんですけど。

というのも、すべてがすべて自己責任ではないにしろ、社会に出て仕事してるのであれば絶対お給料もらってるんですよね。勤務先が超ブラックで長時間労働してるのに残業代が出なかろうが、薄給で貯金が出来なかろうが、セクハラやパワハラが横行してようが、自分の食い扶持を自分で稼ぐことはできてるんですよね。

しかも成人していれば(例外を除いて)だいたいのことは自分の意思で決めることができますよね。

しかも日本の憲法は、「雇用者に対して、労働条件や環境に不満があったら団結していいし、交渉していいし、ストライキしていいよ」って権利まで保障してくれてるんですよね。もし仮に交渉についての知識が無くても、今はGoogle先生やSiriが何でも教えてくれます。なんならハローワークや労基署に行けば詳しく教えてくれます。

もちろん、そこまでしなくても仮病使って休んだり、病院行って1万円ちょっと払って診断書をもらって休職することもできますし、当然退職だってできます。

もし仮に再就職先が決まらないまま辞めたとしても、失業保険があるので給付を受けることができますし、バイトして食いつなぐこともできます。プライドを捨てて親に養ってもらうこともできますよね。

こうやって列挙してみたら、よりはっきりとわかると思います。

「辞めたあとのことが保障されてない」というわけではなく、「辞めた後にどうすれば生きていけるかなんて考えたくないし、そんな面倒でしんどいことをわざわざやりたくない。でも今より楽になりたい。会社が悪いし会社に変わってほしい。」という思いが「辞めた後のことが保障されてない」って言葉の裏側にあることが。

(ここからさらに言葉がキツくなりますので閲覧注意)

自分は何もしないけど、今より楽になりたい?しかも自分は何もしないのに周りに変わってほしい?あなたどこの国の暴君ですか?

日本は幼児期から就活前くらいまでの期間なら、言われたことさえやってりゃ受け身な姿勢でも全然生きていけますよね。でも就活始まったくらいからは「自分の将来は自分で決めろ」と言われるようになりますよね。そりゃそうです。就活までの間に社会に放り出されてもそれなりにやっていける知識と教養、スキルは一式揃えてもらったんだから。(もちろん、一部満足に学校に行けなかった人もいますけれども)

与えられた知識やスキル、経験を上手に使いこなせるかどうかは個人の問題ですし、それを何にどう使っていくかも個人の自由です。夢や目標がある人もない人も、お金がある人もない人も、障害や病気がある人もない人も、周りに頼る・頼らない含めて、結果はどうあれ自分の行動次第なんですよ。

自分の将来を保障するのは自分でしかないんですよ。そういう意味で私は「お前の退職後の保証くらいお前でどうにかせえ!助けを求めるなら自分で呼べ!そこでじっとしてても誰も助けてくれへんぞ!」と思うんですよね。

世の中、自由も多ければ、理不尽も多いので、すべてがすべて自己責任とは思いませんが、自分で取らなきゃいけない責任って絶対あると思うんですよ。理不尽を受けた側だったとしても、そこからどう対応していくかは個人の責任なんですよね。

ご存知の通り、私は「自分で取るべき責任も取ろうとしない人」っていうのが好きではないので、今回こんな言葉のチョイスがひどく、ボリューミーなブログになってしまいました。

本当に、まったく言葉を選ばずに書いたので、相当キツくて嫌味ったらしくて腹立つ内容になってると思います。ここまで書いておいて何ですが、気分を悪くされた方、本当にごめんなさい...そして最後までご覧いただき、ありがとうございました。(ここまで読んでくださった方がいるかどうか...)

ガッツを持っていたいものですね…

では、今夜はこれで失礼いたします。

広告業界に転職して気付いた「PR」のこと

お久しぶりです。

ツアーもののイベント真っ最中、毎日ドタバタしてます、ほりこです。

さーて、今日のテーマは「PR」についてです。私にとっては仕事の話題ですが、皆さんにとっては「自己PR」とか「SNSでのPR」とかそういうイメージなんかなー?と思います。今日はそのPRについていろいろ書こうと思います。

まぁ、PRについてはわざわざ説明しなくてもいいと思うので割愛するとして、皆さんどういう時にPRしたくなりますか?

おそらく、だいたいの場合は「〇〇を知らない相手に対して少しでも知ってほしい」って時だと思うんですよね。

でもここからが問題で、「何をどう知ってほしいの?どう思われたいの?」って話なんですよね。

私は現在、TwitterInstagramFacebookの3つのSNSをやっています。目的は主に情報収集や頭の中で考えたことをアウトプットして整理すること、あるいは日記の代わりです。なので「自分を知ってほしい」というわけではないんですね。

でも、SNSをやってると「自分を知ってほしい。自分が知ってる有益な情報を発信したい」という人もけっこういますよね。中にはそれで収益を上げている人もいます。

そういう人を見る度に「あなたの目的は何なの?その情報を誰に向けて発信しているの?」と私は思います。

少々回りくどくなりましたが、PRする上ではこれが重要なのです。

目的は何か?PRしたい相手は誰か?何をPRするのか?

これもハッキリしないまま「私のことを知ってほしい」なんて言っても無理があるんですね。それこそ「ただの自己顕示欲の強い人」に見えてしまいます。

少し前から、最近、発達界隈で流行ってるイベントやオフ会等についてTwitterで物申しているのですが、「みんなで集まってなんかできたら楽しいよね!」ってノリだけでやるようなものを「PRイベント」として認めるのに抵抗を感じるのは、これだと思うんです。

ここからは少々皮肉っぽくなりますが、イベントを仕事やってる側からすると、「発達界隈で流行ってるイベントはPRイベントじゃなくてオフ会の延長」にしか見えないんです。規模が小さいとかそういう話じゃなくて、「PRするもの、PRの目的、PRする相手」が無いように見えるんです。

「イベントを開催して認知度を高めたい」のかも知れませんが、「イベントを開催する前にあなた達は誰に向けて何を売りたいの?」って話だし、「売るものも売る相手も定まってないのに何をPRするの?」って思うし、そこからブランディングなんかできるわけないと思うんですよね。

「何でもやりたい!」はいいのですが、そこにひとつのハッキリとした軸がないなら「地に足着いてない信用ならない団体」に見えてしまうんです。就活にしてもビジネスにしても、軸がないとPRされたとて印象に残らないです。

 

いろいろと偉そうなこと書きましたが、私もまだまだ自分の軸を作っている途中です。(だからPRはしないんですが…)ビジネスを立ち上げる頃には、しっかりと芯のある人間になりたいものですね。

では、今日はこの辺で。

 

「障害者」と「健常者」のちがい

おはようございます、ほりこです。

春どこ行った?くらいの勢いで最近暑いですね。まだ5月やん?何でこんな暑いの?5月でこれとか7月・8月なんてどうなんの?と思います。衣替えが全然ついていけません…

 

さて、今日の話題はタイトルの通り!

「障害者」と「健常者」のちがいについて、考えていきたいと思います。

というのも、実は昨日、私はこんなツイートをしております。

 

別にすべてがすべて自己責任とは思えんけど、大人である程度の判断能力があるなら、稼ぐ方法もいろいろあることはわかるやろうし、今どきネットで情報収集だって簡単にできるはずやのに。判断能力が鈍ってる人は全力で休めばいいと思いますけど、頭回るうちは言い訳ってできない気がするなぁ。https://twitter.com/wxwe8ecekrfn0fd/status/995889031329304576?s=21

 

そして、作家のはあちゅうさんも、同じようなことを仰っていました。

 

自分を全部、自分で選べる時代が来た。会う人も、触れる情報も、働き方も、何もかも自分の意志で選べる代わり、言い訳が言えない時代だと思う。自由は選択肢が多いという不自由といつもセットなので、意思決定が出来ない人にとっては不自由な時代が来た。https://twitter.com/ha_chu/status/995914850378235905?s=21

 

そう。今の世の中って、自分さえ動けば、誰かに何かをしてもらわなくても何でも得られる時代ですよね。スマホさえあれば、だいたいのことはできる時代です。

だから、なおさら、「障害者」と「健常者」のちがいや格差も曖昧になっている気がします。

 

私は、『「障害者」と「健常者」のちがいなんて一つしかないんじゃないか?』と思っています。

その唯一のちがいは「障害があるか、障害がないか」です。

「いやいや、何言ってんのほりこさん。それは当たり前でしょ。もっと他に障害者の方が苦労してることあるでしょ。」という声が聞こえてきそうですが、今から理由を説明しますね。

 

さっきも言った通り、今はスマホ1台でだいたいのことができる時代ですし、総務省の統計によれば、モバイル端末・PCの普及率はなんと94.7%にも及ぶそうです。http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h29/html/nc262110.html

健常者も障害者も、PCやモバイル端末があれば当たり前に世界と繋がれるんですよね。

もちろん、身体障害があって上半身が自由に動かせない人や盲目の人などは、操作が難しい、情報が得にくいなどの不便さはありますが、(お値段は高くつきますが)視線や脳波を使って操作ができたり、音声で読み上げてくれる機能がついていたりと、基本的には誰でも使えるようになっています。

 

だから、インターネットを上手く使ったもの勝ちなんですよね。外で働けなくてもインターネットを使えば自宅で働けます。アフィリエイトだけでなく今流行りのクラウドファンディングを使ってお金を生み出すこともできるし、貯金を投資に回してお金を増やすことだってできます。

今まではそれができなかったから障害者にとっては不便極まりない社会だったのでしょうが、今はそういった障壁がなくなったんです。

ちょっと頭を使えば誰だって働けるし、そこに「障害者」か「健常者」なんてことは関係なくなってきている気がします。

もちろん、障害の程度というのは絶対にあるし、大なり小なり周囲の手助けは必要です。(特に身体障害者は、物の運搬や設営に苦労を要すると思います。)

でも、逆に言えば、「周囲の手助けは最小限でも何とかなるし、稼ごうと思えば自力で稼げる」という時代だと思います。

そんな時代にいながら、ある程度身体の自由が利き、健康面に問題はない状態で「どうしても働けない」というのであれば、それは障害云々の問題ではなく「精神面」の問題だと思います。

甘えているか、甘えていないかはさておき、「働けない」理由はあくまで個人の精神的な課題であって「障害者」という部分は正直そこまで関係ないと思います。

健常者に「障害を言い訳にするな」と言う人が少なくないのは、きっとそういうことを潜在的にわかっているからだと思います。

逆に「障害抱えながら働いてたけど、ついていくので精一杯で精神面やられました」とかなら、健常者も「障害を言い訳にするな」とは言わないし、そういうこと言う人は健常者にも障害者にも叩かれます(笑)

 

何が言いたいかというと、「障害」のせいでできないことなんて実は限られていて、本当は大半のことはできるんです。

もしできない理由があるとしたら、それは「障害」が理由ではないし、その原因は「障害者だから起こるもの」ではなく、「健常者にも起こるもの」だと思います。

 

私は何かにつけて「障害があるから」を枕言葉にする人、けっこう苦手です。

障害で困ることはいっぱいあっても、すべてがすべて障害のせいなわけないし、「障害があるから」は「やらなくてもいい」免罪符ではないです。障害があろうが依存症で自分をコントロールできなかろうが「ダメなもんはダメ」です。

 

疲れたら休めばいいし、何も精神崩壊するまで働けとは思わないけど、休んだあとは働きましょう。

お金を稼ぐ方法も、一人暮らしをする方法も、いっぱい情報は出回ってます。それをやるかやらないかはあなたの責任だし、やって失敗しても、やらないで失敗してもあなたの責任です。自分でやれる範囲のことは自分でやりましょう。

何度でも言いますが、「障害」はあくまで「障害」でしかないし、「やらないための免罪符」ではないです。

頭捻ってやることやってれば、だいたいのことは何とかなります。

 

では、今日も頑張っていきましょう。

「できないけどやる」の一択。

どうも。ほりこです。

昨日仕事の本番初日が終わりまして、ホッとすると同時にものすごい疲れました。

本番終了後、上司(ADHDのことは告白済み)からのフィードバックがあり、一言、こう言われました。

「遅い。」

いやもう、その通りすぎて「すみません」としか言えなかったです。

そしてその上司の次のセリフが

「段取りをもっと綺麗にやれ。仕事が早い人はものごとの整理整頓が上手い。それには性格とか血液型とか関係ない。段取りを綺麗にやる人は仕事のQOLも高いし、何でも綺麗にまとまってる。段取りが悪いと何でも雑に見えるし仕事のQOLも低い」

ずっしりきました。納得しかなかったです。上司がどこまで私の障害のことをわかっているのかは知りませんが、きっとネットで調べたりしてどんな障害なのかは理解してると思います。(そういう良い上司なので...)

その上でこう言われてると思うし、「『できない』で終わるな。やれるように方法を考えろ」と暗に言われている気がします。

そうなんですよね。

社会に出たら「ADHDだからできません」で終わっちゃいけないんです。確かに、私が段取りが綺麗にできないのは十中八九ADHDが原因です。でも、世界中のどこを探しても「段取り・片付け・管理」がいらない仕事なんてないです。絶対に。

障害を周知した上で働いていても、一緒に仕事する同僚やクライアントは健常者ですし、健常者のQOLを前提に仕事が振られます。障害者枠については詳しく知りませんが、きっと障害者枠だからってQOLの低い仕事でいいはずないですよね。

だから働こうと思ったら「できないけどやる」しか選択肢はないし、こっちが健常者のQOLに追いつくしかありません。

でもその差を埋めるのってそんなに簡単じゃないです。工夫したからといって一朝一夕で改善されるものではないし、長い期間トライアンドエラーをやり続けてようやく埋まるものです。

となれば、とにかく量をやるしかないし、悠長なことも言ってられないからスピードを上げるしかないんですよね。スピードを上げるにはスキルをつける、知識をつける必要もあります。

発達障害を言い訳にしないっていうのは、この努力をちゃんとやることだと思うんですよね。

文句は言うけどちゃんとやる。「障害があるんだからできなくて当然だ」とわかっていつつも、でもやるんです。

私は、これを「やらない」のは「障害を言い訳にしてる」と思うし、健常者の同僚や上司もそう思って当然だと思うんです。

「やってるけどできない」だったら、健常者の人も助けてくれます。でも「できないからやらない」だったら、健常者の人は助けてくれないです。

「できないからやらない」と言ってるうちは「甘えるな」って言われても仕方ないと私は思います。

 

大事なのは「できるかどうか」じゃなくて、「やろうとするかどうか」「やってみたかどうか」「やれるようになるだけの努力をしたかどうか」ですよね。

私の上司は私が頑張ってできなかった時は怒らないし、むしろ助けてくれます。でも私が努力しなかったらめちゃくちゃ厳しく叱られるし、冷たくあしらわれます。(でもちゃんと「こうすべきだった」と正解も教えてくれます。超いい上司です、本当に。)

今、私は本当に心から尊敬する上司に出会えたし、その上司の下で仕事できるうちに、もっとできることを増やしたいと思っています。

そのためにいろいろ思考錯誤してます。

そうやって努力しようとしてる自分の方が、努力をしようとしない自分よりも、私はずっと好きです。

 

今日はこの辺で失礼しますね。

では、良い週末を。